シンボルに補われたプレシンボリックな知能



最近,マウスを掴んで,ディスプレイ上のカーソルを動かして,クリックする繰り返しが,チェスのようなゲームに思えてきている.座標を指定することの連続.単純な行為の繰り返し.でも,いろいろなことがそこでは起こっている.ディスプレイ上のイメージに,私たちはアフォーダンスを感じるのか? 感じさせるために,ボタンのイメージに影とかつけてもっともらしくしているが,私たちは本当にそこにアフォーダンスを感じているのか.ただの座標指定にアフォーダンスなんて言葉は使えないのではないだろうか? ただチェスのようにコンピュータがディスプレイ上にこのような手を提示したから,こちらもそれに応えて次の手を打つということの繰り返しなのではないか.チェスや将棋が立体の駒をなぜ必要とするのか? 座標指定をするために,何か掴める物理的なものをヒトが欲したにすぎないと考えられる.ただ,駒を掴みたかっただけなで,掴むと安心なのではないかと.物理的に安心しながら,ゲームの世界に没頭する.「掴む」ー「置く(チェス)/押す(マウス)」という単純な行為と単純に「規則に従う」ということ.
「パックマン」の動きは,チェスの一定の駒の動きにヒントを得ている.「パックマン・ゲーム」に精通したプレーヤーは,これらの一定の動き方を,他のプレーヤーがやっているのを見たり,本を読んだり,あるいは自分で見つけ出したりして,自分のレパートリーにしているのだ.とはいえ,チェスが定石通りにはいかないのと同じように,テレビゲームでもほんのわずかのあいだ操作の手を休めるだけで,定石が崩されてしまうことがある.そうなると,自分の運動神経とゲームの一般原則の知識 --- たとえば,それぞれの「モンスター」の行動のしかたや,迷路のなかに設けられた「安全な避難場所」など --- をたよりに,行き当たりばったりの戦法に出るしかない.けれども,「モンスター」の動きより機敏に考えなければ負けてしまうので,ゲームの一般原則も,定石的な動きと同じようにたんに知識として知っているだけではだめなのだ.思考以上のもの --- ある意味では思考を超えるものが要求される.ピアノを弾くとき,指は動き方を知っていて,自動的に動く.X という和音を弾いたあと,すぐに間違いなく Y という和音に移るのを,指が「知っている」かのようだ.テレビゲームでも,これに似た反射的動作が必要となる.(p. 93)
シェリー・タークル (1984)インティメイト・マシン コンピュータに心はあるか
私は花村論文の出版直前に,本論文のもととなった花村と河村英夫による一九九七年の日本精神病理学会での共同発表を聞いている.そのさい,このピアノやチェスの体験は,一種のサイバースペースへの接続として,もう少し大きな比重で語られていた.単純なルールが支配するヴァーチャル空間に身を置くことは,こうしたカップリングを回復する上で,有効なリハビリテーションとして作用するだろう.(p.153)
斉藤環(2009)ラメラスケイプ,あるい「身体」の消失 in 思想地図 No.4
私たちは,マウスやゲームのコントローラを使って単純なルールに基づいた単純な行為「掴む」ー「押す」を行っている.この単純のルール/行為に基づいて私たちに提示されるイメージは,多種多様である.ここには行為とイメージとの間に非対称性があるように思える.

冒頭にリンクしたチェスの映像は,とても早く駒を動かしている.考えていないかのようだが,盤面の状況に対応して駒を動かしている.これは「思考以上」のものなのだろうか.反射的に身体が動く.駒を掴んで動かし置く.置く座標は即座に決められる.状況によって決められる.これは「思考以上」ではなく「思考以前」なのではないのか.プレシンボリックな知能.

現実のチェスの場合,行為とモノとの間には対称性がある.物理的法則に基づいた一対一対応.マウスとカーソルを含めたディスプレイ上のイメージの間には,このような対称性は存在しないが,コンピュータの論理には基づいている.行為とイメージとの間にある非対称性をコンピュータの論理が補う.ここには論理に補われた「思考以前」,プレシンボリックな知能が生じてるのではないだろうか? シンボルに補われたプレシンボリックな知能というな矛盾の中で,私たちはコンピュータを操作しているのではないだろうか.と書きつつ,一心不乱にマウスを動かして,イラストレーターでデザインを仕上げている学生たちを思い浮かべているので,「シンボルに補われたプレシンボリックな知能」という言葉は,私の中で少しは具体的な実感をもったものとしてあるのかもしれない.ビデオゲームに没頭しているときもそうかもしれない.チェスの早指しはできないので,このときの感覚はどうなんだろうか?

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