告知とメモ_トーク・イベント:ラファエル・ローゼンダール+インターネット・リアリティ研究会
7月20日(土)から川崎市民ミュージアムで始まる「セカイがハンテンし、テイク」展の関連イベントでアーティストのラファエル・ローゼンダールとインターネットリアリティ研究会によるトークイベント(20日14:30から)があります.お時間があるかたは是非お越しください.
以下,ラファエル・ローゼンダールについてのメモです.
ラファエル・ローゼンダールはネットに多くの作品を発表しています.そして作品を掲載しているドメインを売るという手法で「ネット上の作品を売る」という行為を成立させました.例えば,falling falling .com(2011)にいくと作品が見られると同時にタブの部分に「collection of hampus indwall, falling falling .com by rafael rozendaal, 2011. sound by gloumouth1」とオーナーの名前と作品クレジットが記されています.
ここで興味深いのは,作品がhampus indwallに購入されているのにも関わらずネットに自由に見ることができるという点です.その理由は作品売買の契約書(契約書のテンプレートは公開されています→http://www.artwebsitesalescontract.com/)にあります.そこには「作品オーナーはウェブサイトをオンラインに残し,みんながアクセスできる状態にしておかなければならない」と書かれています.なので,気に入った作品を購入しても一人占めはできないようになっているのです.このことはネットにおける「所有」という概念を考える上で重要なひとつの例だと考えられます.
契約書で気になる点が「データの引渡し」の項目です.そこでは基本的に3つのファイルが引き渡されると書かれています.
これら3つのファイルが引き渡されるわけですが,これらのどれもが「オリジナル」として機能することになるのか,それとも「ソース・ファイル」が「最も」オリジナルなものなのか? もしくは,ここで引き渡されるデータそのものがローゼンダールがつくった「オリジナル」のコピーになるのか? もともと「オリジナルとコピー」との関係性自体が崩れてしまっているとも考えられます.このあたりをトークで聞くことができたらなと思っています.
そして,ローゼンダールの画像に対する感覚については個人的に特に聞いてみたいことです.去年,私は「GIF」について多く考えてきました.しかし,ネットの画像とそこにあるリアリティは単一なものではないということを,GIFについて考えれば考えるほど痛烈に思い知らされました.そこで,GIFとは逆のベクトルをしめすベクター画像をつかうローゼンダールの考えやその感覚を知ることは,ネット上の画像の考察を進める上でとても有益なことだと思うのです.
最後に,「セカイがハンテンし、テイク」展でローゼンダールがどのような展示をしているのかはわからないけれど,多くの展示で行なっている「映像+鏡」の形式であれば,ICCのオープンスペース2013でグリッチの作品《Tab. Glitch》《Facing to File Formats》(2013)を展示しているucnvの以下のツイートも気になります.
ディスプレイ上でベクター画像を用いるローゼンダールがリアル空間では割った鏡を床にしきつめている.そして,このことをグリッチを用いた作品制作とその考察をすすめるucnvが気にするという関係が面白いところです.
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以前書いたラファエル・ローゼンダールに関する記事
→そこに見えているのは「雷雨」か,それとも「何か」か?
以下,ラファエル・ローゼンダールについてのメモです.
ラファエル・ローゼンダールはネットに多くの作品を発表しています.そして作品を掲載しているドメインを売るという手法で「ネット上の作品を売る」という行為を成立させました.例えば,falling falling .com(2011)にいくと作品が見られると同時にタブの部分に「collection of hampus indwall, falling falling .com by rafael rozendaal, 2011. sound by gloumouth1」とオーナーの名前と作品クレジットが記されています.
falling falling .com_スクリーンショット |
ここで興味深いのは,作品がhampus indwallに購入されているのにも関わらずネットに自由に見ることができるという点です.その理由は作品売買の契約書(契約書のテンプレートは公開されています→http://www.artwebsitesalescontract.com/)にあります.そこには「作品オーナーはウェブサイトをオンラインに残し,みんながアクセスできる状態にしておかなければならない」と書かれています.なので,気に入った作品を購入しても一人占めはできないようになっているのです.このことはネットにおける「所有」という概念を考える上で重要なひとつの例だと考えられます.
契約書で気になる点が「データの引渡し」の項目です.そこでは基本的に3つのファイルが引き渡されると書かれています.
- オンライン・ファイル:ウェブページを表示するのに必要なもの
- 展示ファイル:MacやPCで展示を行うためのもの
- ソース・ファイル:将来,必要になるかもしれない修復のためのもの
これら3つのファイルが引き渡されるわけですが,これらのどれもが「オリジナル」として機能することになるのか,それとも「ソース・ファイル」が「最も」オリジナルなものなのか? もしくは,ここで引き渡されるデータそのものがローゼンダールがつくった「オリジナル」のコピーになるのか? もともと「オリジナルとコピー」との関係性自体が崩れてしまっているとも考えられます.このあたりをトークで聞くことができたらなと思っています.
インターネット・リアリティ研究会との関連でいえば,去年の研究会及び自分は「GIF」や「JPEG」などの圧縮画像の「質感」を探ってきました.これらの画像はネット上を拡散し続けることにその存在意義があるとされています.対して,ローゼンダールの作品はベクター形式の画像でつくられています.そこには明らかにGIFやJPEGとは異なる質感があります.ローゼンダールはブログで「JPEGには損失があるが,ベクターにはない」と言っています.彼が言っていることはあたり前のことかもしれませんが,画像に対するこの辺りの感覚が何に由来するものなのかを聞いてみたいです.
そして,ローゼンダールの画像に対する感覚については個人的に特に聞いてみたいことです.去年,私は「GIF」について多く考えてきました.しかし,ネットの画像とそこにあるリアリティは単一なものではないということを,GIFについて考えれば考えるほど痛烈に思い知らされました.そこで,GIFとは逆のベクトルをしめすベクター画像をつかうローゼンダールの考えやその感覚を知ることは,ネット上の画像の考察を進める上でとても有益なことだと思うのです.
Falling Falling, 2012. Three digital projections, broken mirror and sound. |
最後に,「セカイがハンテンし、テイク」展でローゼンダールがどのような展示をしているのかはわからないけれど,多くの展示で行なっている「映像+鏡」の形式であれば,ICCのオープンスペース2013でグリッチの作品《Tab. Glitch》《Facing to File Formats》(2013)を展示しているucnvの以下のツイートも気になります.
ラファエルローゼンダールはなぜ鏡を割るのか
— ucnv (@ucnv) June 11, 2013
ディスプレイ上でベクター画像を用いるローゼンダールがリアル空間では割った鏡を床にしきつめている.そして,このことをグリッチを用いた作品制作とその考察をすすめるucnvが気にするという関係が面白いところです.
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以前書いたラファエル・ローゼンダールに関する記事
→そこに見えているのは「雷雨」か,それとも「何か」か?