ラファエル・ローゼンダールの「ガスのような作品」
昨日,川崎市民ミュージアムでラファエル・ローゼンダールとインターネット・リアリティ研究会でのトークをしてきました.トークに来てくれた方ありがとうございました!
トークはとても興味深いものでうまくまとめて紹介したいのですが,自分も登壇者だったのですべてをまとめる余裕がないので,トークの紹介というよりもトークで自分が気になったことろ及びローゼンダールの展示から考えたことを書いていきたいと思います.
展覧会でローゼンダールが展示していたのは《looking at something》でした.ネットでも体験してもらえるとすぐにわかるのですが,カーソルやタッチのインタラクションに応じてブラウザに表示されている天気が「晴れ」や「雨」,「雷雨」に変わるというものです.展示は3つの画面がプロジェクションされていて,それぞれを映像の正面に置かれた展示台上の「トラックパッド」でコントロールするというものでした.
インスタレーションとネット上の作品のちがいは画面の大きさやその数などありますが,「カーソルの有無」が個人的にはとても気になりました.インスタレーション版ではカーソルはありませんが,ネット版ではパソコンで体験するとカーソルがあって,スマートフォンではカーソルはありません.
スマートフォンで体験 |
パソコンで体験 |
自分のなかではカーソルがあるパソコンでの体験が一番作品とインタラクションを行なっている感じがします.自分の指の行為がカーソルに反映され,それがしっかりと「カーソル」の位置として見えているからなのだと思います.カーソルがないタイプだとスマートフォンの方がよりインタラクトの度合いが深いかなという感じです.インスタレーション版は,プロジェクションされた画面とトラックパッドとのあいだの距離があり,自分で動かしているのは確かなのだけれども,そこには本当に自分が画面をコントロールしているのかという小さな疑念みたいなものが浮かんでくるというか,インタラクションで「自分と画面とがつながる」,インタラクションの研究者・渡邊恵太の言葉でいうと「帰属感」を感じるまでにわずかに微小な時間のズレがあるという感じです.
インタラクション版に感じたズレが「悪い」というわけではなくて,作品を体験する環境によって微妙に異なった体験ができるということが重要だと,私は考えています.トークでローゼンダールに作品の「オリジナルとコピー」について質問したのですが,そのときに彼は「ちょっと考えさせてください」といった後に,「これがオリジナル!」という感じでは「オリジナル」はなくて「それぞれの文脈によってそれぞれ異なる体験がある」と答えてくれました.そして「作品はガス状のもの」ということも言っていていました.とても興味深い考えだと思います.モクモクと噴出し続けてるガスをそれぞれの環境に入れると,そのつどあらたな「かたち」が現われて,それを体験していくような作品,と私は彼の言葉を解釈しました.ウェブにあるものをパソコンで見たもの,スマートフォンで見たもの,インスタレーションで見たもの,そのすべてがその環境に充満したひとつの作品なのです.なので,そこには「これがオリジナル!」という意味ではオリジナルはない.そしてオリジナルがなければそこにコピーもないということになります.あるのは「ガスの源=ソースコード」のみなのかもしれません.
「ガスのような」という言葉は,ローゼンダールがブラウザを「流体のキャンバス」と考えているところにつながるにつながります.ローゼンダールはネット独自の表現を考えていくなかで,絵画の枠が固定的なのに対して,ブラウザのウィンドウの枠が可変的であることに注目します.そこから.見ている画像の「枠」を見る人が自由に変えることが出来ることがネット独自のメディア性だと考え,「流体のキャンバス」という言葉をつくります.そして,ローゼンダールはこの言葉に呼応するように「ベクター画像」を用います.ウィンドウが可変的であるならば,そこでもちいる画像も「可変的」でなければならないということです.ローゼンダールは作品の枠とそこで表示される画像が「ガスのように」伸縮自在であることが,インターネットを視覚的表現のメディアと考えた際の追求すべき「メディア性」としているわけです.
そして,「ガスのように」可変的なメディアの上の作品に決まった「かたち」を与えているのが「ドメイン名」になります.作品自体は決まったかたちをもつことはない.それはブラウザの枠を見る人が自由に変えれるということから,SafariやChromeといったようにブラウザ自体のちがいもあるし,パソコン,スマートフォン,インスタレーションといった作品を表示する環境が異なる場合もあります.見た目と体験はすべて異なるものになりながらもこれらがひとつの作品として受け取られるのは,そこに「作品名」でもあり,作品が置かれた「場所」を示すものである「ドメイン名」があるからです.ブラウザという「流体のキャンバス」に描かれた可変的なベクター画像の作品を作品として完成させるためにローゼンダールが「額」として与えるのが「ドメイン名」なのです.
このように考えると,「ドメイン名」を売ることでネット作品売買を成立させることにも納得がいきます.「ドメイン名」は確かにネット上ただひとつのものであり売買の対象となるのはもちろんのこと,その「ドメイン名」こそが「ガスのような」作品を売買の対象としてひとつの「かたち」を与えている「額」という重要な機能を果たしているからです.