インターネット・ヤミ市2で感じたこと














とにかく人が多かったです.ひとひとひとひとひとという感じ.そんななかあいも変わらず「論文」を売っていたわけです.暑くて汗が論文の上に落ちました.インターネットと汗,いいですね.「インターネット」という言葉.これを枕詞にしているのが「インターネット・ヤミ市」なのですが,インターネットおにぎり,インターネット日本酒などなど.インターネットってなんなのでしょう.ヒトがつくっておきながら制御できなくなりつつあるもうひとつの自然なんて感じではなくて,そこにある「インターネット」.枕詞としての「インターネット」.




インターネット時間のとてもはやい流れは初回のときにあった「インターネットのモノ化」の状態はあっという間に通り越していって,モノ化したインターネットそのものもまたサービス化してまたインターネットしてしまったのかもしれない.そうするとどこもかしも「インターネット」なので,「インターネット」が関係なくなり,それが枕詞として機能することになるのだろうかと上の2つのツイートから考えました.

これらのツイートの他にヤミ市はインターネット1.0ぽいというのもTwitterかなんかで見たような気がするのだけれど,そのツイートは見つけられなかった.なので,それは僕の感想の反映なのかもしれない.インターネットヤミ市はどこか初期のインターネットがもっていた様々な制限からくるリアルとの「切断」を巡り巡って「リアルの場」につくりだしている感じがするんです.でも,そのように自分が感じることが不思議でもあります.なぜなら,僕は初期のインターネットに興味がなかったというか,そこへのリアリティを感じることがなかったのでほとんど知らないからです.じゃ,なんで上のような考えになるのかというと,僕には「インターネット・リアリティ」の基礎体力みたいなものが足りないからではないかと.この距離感をどうにかしたいという思いがいろいろと自分に考えさせているのではないかなと.その気持ちを言語化してくれているのがこのツイートなのかなとも思いつつ.


僕の場合は自分から「距離を置く」というのではなくて,基礎体力のなさからの,あるいは「基礎体力」なんてものを勝手に考えてそれが足りないとしてしまうがゆえに「距離感=インタネ非リア充」みたいなものを今回のインターネット・ヤミ市2に感じたのかもしれないです.

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