メモ:須賀悠介の《Empty window》を見て
須賀悠介さんの個展が7月24日まで原宿のBLOCK HOUSEで開催されています.そこに展示されていたディスプレイをモチーフにした作品が興味深ったので,会期が終わる前にメモを残しておこうと思います.
後日,改めて,出張報告書(別紙)にまとめようと思っています.
須賀悠介の割れたディスプレイを木彫で表現した作品《Empty window》を見て,最初に気になったのは,スマートフォンの前面のディスプレイ以外の部分,iPhoneで言えばホームボタンやフロントカメラなどは排除されていることであった.確かに,ホームボタンなどのところはディスプレイではないから,当たり前である.しかし,「ディスプレイが割れた」という言うとき,実際に割れているのはスマートフォンの保護ガラスであって,それはホームボタンやフロントカメラの周囲を覆っている.だから,「割れたディスプレイ」というとスマートフォンの前面の保護ガラスが割れるのであって,ディスプレイが割れるということはないのではないか.保護ガラスが割れるだけだから,ディスプレイは機能している.しかし,ヒトは保護ガラスの割れをディスプレイの割れと思う.恐らく,須賀はこのような問題を回避するために,ディスプレイ部分のヒビのみを彫ることにしたのだろう.そうすることによって,ヒビはよりディスプレイに密着する.保護ガラスはディスプレイの一部になる.ディスプレイの上に位置して,スマートフォン前面全体を覆っていたものが,ディスプレイの一部となる.これは保護ガラスが割れたディスプレイを操作している時にも感じる.ヒビによる凹凸によって,普段は意識しないガラスの存在が顕わになる.ディスプレイは普段は画像表示装置であって,画像の支持体としてその存在を画像のもとにひっそりと隠している.しかし,保護ガラスというディスプレイ自体を保護するガラスが割れることで,ディスプレイは保護されているひとつのモノとして強く存在するようになる.だからこそ,それは木彫として表現することできる.