💋《Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《キス、または二台のモニタ》を考えてみる😘
エキソニモ《Body Paint》を見る体験の流れを考えてみる.
- 一部を絵具で塗りつぶされたモニタを見る
- モニタのフレームのなかに絵具を見る
- 通常はフレームで区切られた表面にはピクセルの光が存在する
- フレームのなかの表面にピクセルの光と絵具というモノが混在する
- 光とモノとのあいだで,見ている人の認識に混乱が生じる
- モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう
畠中 ディスプレイに映し出される人体の背景をペイントで塗りつぶしてしまうエキソニモの作品《Body Paint》(2014)も,そもそもディスプレイという,そこに映っているものに没入させる機能があるものを実体化させる行為だったと思います.そうすることで,実体が,映像であるはずですが,ディスプレイの向こうからニュッと出てきてしまう.そういうメディアとオブジェクトのあいだをすり抜けて映像が立ち上がる作品で,とても秀逸な作品だったと思います.p.94
さらに,《Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《キス、または二台のモニタ》を考えてみる
- モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう
- 2台のモニタを重ねたら,ニュッと出てている二人のヒトはキスできてしまう
- 実際にはモニタが重なっているだけれども…
- モニタ一面に表示された顔(フェイス)を考えて見る
- モニタの表面(サーフェイス)が映像に覆われてヒトの顔(フェイス)になる
- Body Paintのように「ニュッ」と映像が実体化していると感じるのではないか?
- 2台のモニタが重なって見ない部分ができることで,映像がニュッと実体化する?
《キス、または二台のモニタ》を《Body Paint》の流れで考えると,《Body Paint》でニュッと出てきてしまった実体化した映像を重ね合わせたのが,《キス、または二台のモニタ》ともいえるのではないだろうか.
《キス、または二台のモニタ》ではフェイスがサーフェイスを覆ってしまっていて,それゆえにフェイスが実体化するというか,モニタのフレームを超えた存在感を持っているともいえる.しかし,フレームのなかのサーフェイスからニュッと押し出される感じで実体化された映像が,モニタを重ねわせて,グニュと再度,モニタのサーフェイスに押し返したのが《キス、または二台のモニタ》とも考えることもができる.
けれど,サーフェイスを超えて見えているフェイスは二つのモニタのサーフェイスを重ね合わせたときに生じる「キス」という行為がつくりだすサーフェイスの見えない部分とともにフレームに押しとどめられるからこそ,フェイスとして機能しているとも考えられる.同時に,2つのモニタのフレームが重ねられて,見えない部分が生じるからこそ,フェイスはサーフェイスから自律した存在になっていて,フェイスがサーフェイスから浮き出ているように見えるから,キスが成立するともいえる.
《キス、または二台のモニタ》は「キス」というフェイスの重ね合わせの状態において,モニタのサーフェイスと,そこに映る大きなフェイス(顔)とが混在し,混乱して状態をつくりだしている.うまく処理できない状態に置かれるから,この作品を見る人の多くがエモーショナルな状態に置かれるのかもしれない.