The SINE WAVE ORCHESTRA の《A WAVE》を改めて考える

追記:2018年3月24日 17:00
2018年3月23日(金)19:00
ゲスト:城一裕 聞き手:水野勝仁,松谷容作
主催:ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察


配信第二回はSine Wave Orchestraの《A Wave》(2017)を中心に,10年前に語られた「いつか音楽と呼ばれるもの」のその後の展開について考える.

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城一裕さんを迎えてのPoi vol.3 のために,The SINE WAVE ORCHESTRA の《A WAVE》を改めて考える.私はこの作品を一度レビューで取り上げて,次のように書いている.





《A Wave》の視界を覆い尽くす巨大なスクリーンは物理的なフィルターを兼ねており,そこでまず膨大なデータが物理的に濾過されていく.次に,濾過によって意味が発生する手前の状態になったデータがスクリーン表面に滲み出していき,コンピュータの記号操作ではつくりださせない物理的肌理をもつ映像が生まれる.最後に,スクリーン上でデータと映像と物理的肌理とが重なり合い,模様のような不明瞭な映像とともに映像にすべてを変換しえない膨大なデータの気配が物理世界に漂い出す.SWOは《A Wave》で,巨大なスクリーンという物理的な膜を基軸にしたシステムを通して,普段は明確に分けられているデータと映像と物理世界とが重なり合って存在するアモルフな状況をつくっているのである. 

レビューのタイトル「あらゆる世界が重なり合う世界」が示しているように,このときは,データ,映像が示す仮想世界と物理世界とが重なり合っていって,そのあいだの「インターフェイス」のあり方を,二つ異なる世界を向かい合わせるものではなく,重ね合わせるものとして考えるといいのではないかと考えていた.

リアプロジェクション方式を採用した《A WAVE》は,プロジェクターからの光がスクリーンという物理的フィルターに「濾過」されるという表現を用いて,仮想世界と物理世界との重なり合いを示していると考えていた.スクリーンを「インターフェイス」として考えた場合は,レビューで書いたことは《A WAVE》に有効だと考えている.

しかし,スクリーンを一つのサーフェイスとして考えた場合は,仮想世界と物理世界とを分離するものになるのではないかと考えるようになった.「インターフェイス」と「サーフェイス」とのちがいはまだ自分のなかでもはっきりとしないのであるが,インターフェイスは二つの異なる存在のあいだにあるものであり,そこには表と裏,こちら側と向こう側ということが生じる.対して,サーフェイスはそのままその内部(バルク)につながっているであって,それは表だけで裏がなく向こう側を示すことなくこちら側しかない.

このように考えたとき,ディスプレイ・プロジェクターというインターフェイスの最小単位であり,コンピュータの演算結果を明確に示すための最小単位でもある「ピクセル」を消滅させてしまった《A WAVE》のスクリーンは一つのサーフェイスとして考えるのがいいのではないかと,私は思うようになった.《A WAVE》は否応なく重なり合っている仮想世界と物理世界とを引き離すものではないだろうか.それは,リアプロジェクションの空間とスクリーンの平面とが一つの内部とその表面になって,その手前で鑑賞しているヒトが存在する空間とを分離するものになっているのではないだろうか.スクリーンの映像とその向こう側のデータとは重なり合うが,この重なり合いによって,スクリーン手前に存在する空間が分離される.スクリーンは仮想世界と物理世界とが一つとなる存在のサーフェイスとなって,手前の物理世界を物理世界全体から引き剥がす役割を担っているのではないだろうか.

サーフェイスと化したスクリーンというのは「映画」ではないか,と言われるだろう.そうかもしれない.《A WAVE》は一つの映画なのかもしれない.しかし,それはインターフェイスとサーフェイスとのあいだを常に行き来するものである点で,映画とは異なるのかもしれないし,渡邉大輔氏が「ゲンロンβ」での連載「ポスト・シネマ・クリティーク」で書くように映画がインターフェイス化しているのであれば,そもそも映画を対立項として出すこと自体が間違っているのかもしれない.全ての平面はインターフェイスにもなり,サーフェイスにもなって,物理世界と仮想世界とを否応なしに重ね合わせていると同時に,それらを引き剥がしてもいるのかもしれない.サーフェイス化したスクリーンやディスプレイから引き剥がされた手前の空間からその表面を眺め続けることを考えないといけないのかもしれない.

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