Houxo Que「apple」から考えた_サーフェイスとその内部である「バルク」


Houxo Que「apple」での作品群は,サーフェイスとその内部である「バルク」で考えてみると,ディスプレイ=「窓/鏡」というメタファーを更新できるのではないだろうか.「バルク」というのは物質の内部のことである.

表面と内部の違いをとりわけはっきりさせたい時,表面に対して内部を“バルク”と呼び,表面に対する内部の特性をバルク特性と呼んで区別する.バルクとは“全体”という意味である.p.11  
表面と界面の不思議,丸井智敬・井上雅雄・村田逞詮・桜田司 

「apple」の作品群は,鏡や窓といった「インターフェイス」としてではなく,バルクという物質本来の性質の部分を覆い,物質に異なる性質をもたらす「サーフェイス」としてiPhoneやiPadを考えるきっかけを提示している.



しかし,appleデバイスが常にバルクに連なるサーフェイスとなっているわけではない.フロントカメラで捉えた映像ではなく,ホーム画面になっているとき,そこには「壁紙」と「アイコン」が重なり合ったインターフェイスとなっている.ここでは,蛍光塗料はインターフェイスに重ねられた異物として存在し,こちらと向こうとを分けるガラスの存在を示している.

フロントカメラで捉えた映像がディスプレイに投影されると,appleデバイスのガラスに塗られた蛍光塗料は,「16,777,216view」シリーズディスプレイに塗られた塗料とは異なる性質を示すようになる.なぜなら,appleデバイスが形成するバルクのなかに物理世界が吸収されていき,その最前面に蛍光塗料が塗られたサーフェイスが生じるからである.そこで,私たちはサーフェイスしか見ていないような感じであるが,全てはバルクへと取り込まれていく.私たちは「16,777,216view」シリーズのように塗料とガラスとがつくる表面を注視することができなくなる.ガラス面に付けられた塗料がサーフェイスを強調するけれども,この塗料があるからこそ,サーフェイスがバルクに続いていることが際立ち,内部へと視線が吸収されていく.

バルクに吸収された私たちは塗料によって,そのままのかたちで現れることができなくなっている.私たちが向こうにいくことをガラスが阻んでいるのではなく,私たちはガラスと塗料によるサーフェイスとあっさりと透過してバルクへと取り込まれていく.サーフェイスとバルクは,インターフェイスのように私たちと向かい合うのではなく,私たちを取り込んでいくのである.



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