VRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」でのトークの告知💬とメモ✍️

告知💬

よーへんさんに誘われて名古屋のGOLDEN ARTS CAMP (黄金4422.bldg.5F)で開催されるVRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」に出ます.私が出るのは6月24日14時からのトーク2「VRと妄想社会」です.名古屋で話すのは久しぶりで,VRについて話すのははじめてです.よろしくお願いします😊

メモ✍️

VRについてはどう考えていいのか,迷いつつ,「呼吸」を手がかりにして,同一化の話をして,ディスプレイを通して体験しているUIの平面の重なりの話を経由して,身体変容へとたどり着けたらと考えています.
  • VRにおける呼吸
    • 身体が空間に融けていく
      • 自己帰属感
        • シャー・デイヴィスによる《Osmos》(1995)は,大きな注目を集めた作品である.HMDに加えて装着するスーツは,呼吸による胸郭の動きを検出するシステムとなっており,体験者はこれによって海底や森の中を連想させるいくつかの作品内部の空間を移動してゆくことになる.スキューバダイビングの体験が元になっているというこのインタラクティヴィティは,呼吸という身体性によるナヴィゲーションを用いることにより,まったく新たな感覚を与えた.それはデータグローブやジョイスティックによる方向の指示に見られるような,体験者が空間に対して操作を加えるという意識を与えず,自然に空間と一体化するように感じさせ,無意識的に身体を適応させるもであった.体験者は,ジョイスティックなどを使う場合よりも格段に強く,ヴァーチャル・スペースと無意識のうちに結びつく.その結果身体が本当に空間の中に溶け込んでいるような印象を味わい,ある種の感覚的状態になるといわれている.
          メディアアートの教科書,白井雅人・森公一・砥綿正之・泊博雅
          • 空間自体が身体と連動する
            • 砂山──最近さまざまなプロジェクトで実験的にVRを使うことが多いのですが,テクスチャーの表面だけでぬるっと連続していくような世界への没入感は,一見するとオールオーヴァーですが,図と地が共存するような奇妙なリアリティをもたらします. 石岡良治・砂山太一対談「20世紀の遺産から考える装飾」
            • 体とそれ以外を分ける境界があらかじめ決められたものではなくなったとき,自分とはどういう存在になるのだろうか.その世界に浮かぶ存在,体験の核となる存在だ.自分が存在していることに気づく.それ以外はありえない.バーチャルリアリティとは意識に気づかせてくれるマシンなのだと私は思う.pp.326-327
              人間はガジェットではない:IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言,シャロン・ラニアー
    • 観客と役者が一体化する
      • 呼吸による同期
        • ゼログラビティ
          • そして吐く息の描写も重要だ
            • 本作では呼吸はカギとなる
              • 酸素が減って息が荒くなる場面ではそれを映像に反映させる必要がある
          • 感情表現についてサンドラと話し合う中で重要視したのが呼吸だ
            • 感情が呼吸に表れる
              • 呼吸の描写で感情表現を豊かにすることを考えたんだ
          • よく聞くと,息遣いと会話の中の呼吸は違う
            • 口にある位置を考えてシールドを曇らせる
              • 視覚効果班の細やかな作業のおかげで息の出るタイミングから強さまで表現されている
                • 息には登場人物の感情が投影されているんだ
        • 安藤英由樹+渡邊淳司+佐藤雅彦《心音移入》2010
          http://www.junji.org/eh/index_j.html
          • 人間は,指紋や声や皮膚の色など自分の属性であっても,通常その属性を特に気にせず生きています.属性の中でも内臓といった身体の内側のことには,より無頓着です.考えようによっては,それらを気にしないからこそ上手く生きていけると言えます.しかし時には,その内臓が発する音によって,普段は意識しない存在に気がつくことがあります.例えば,空腹のときに鳴るお腹の音は胃や腸の存在を,緊張している時に聞こえてくる鼓動は心臓の存在を知らしめます.この時,聞こえてくる空腹音や心音は,紛れも無く自分固有のもののはずですが,現実には私たちは,それを特定する能力は持ちえていません.一般に,属性というのは,その人特有のものと解釈されますが,この作品は,属性の中にはアノニマス(誰のものでもない)な,共有できる性質を持つものがあるということを示しています.
  • ディスプレイを通して世界を認識する
    • 砂山──ざっくり言ってしまえば,デジタル以後の時代には,物の特性を情報として操作することが可能になり,「素材と向き合う」という言い方に表わされていたような自然主義的特権性が相対化され,物のなかにある情報性,情報のなかにある物性が思考されていると言えます.現代の装飾性とはそうしたポストデジタル的な思考の往還のなかで現われてくると思います.
      石岡良治・砂山太一対談「20世紀の遺産から考える装飾」
      • 身体と連動するような図と地が共存する奇妙なリアリティ
        • Behind the visor
          • シールドのもう一つ役割は宇宙との区切りだ
            • これがあるから観客は主人公と一体化する
              • 惨事が起こるまでカメラの視点はあくまで客観的だ
                • その後カメラはライアンと一緒に回る
                  • 周囲の風景が回転して音が聞こえてくる方向も定まらない
                    • カメラはゆっくり彼女に近づいていく
                      • やがてヘルメットの中に入り,彼女の視点になる
                        • 客観的な視点から主観的な視点への変化だ
                          • 彼女の視線を通じて全てを体験できる
          • 地球と太陽から受ける光の両方をCGを駆使して表現したよ
            • 顔への光の反射に苦労した
        • 平面の重なりのUI
          • iPhone Xを「視差効果を減らす」機能が台無しにするワケ
            http://appllio.com/ios-iphone-x-gesture-screen-motion-feature
  • VRとUIと身体変容
    • ポストシンボリックコミュニケーション
      • バニシングメッシュ
        • 菅野創+やんツーは《Avatars》で,インターフェイスという膜でヒトの物理世界とモノの物理世界とを取り囲み,ヒトとモノとの重なりを生じさせるひとつの仮想世界をつくりだしている.ここでの仮想世界は物理世界と対立するものではなく,ヒトとモノのふたつの物理世界を重ね合わせるために必要な触媒として,ヒトとモノとの世界に重ねられる存在となっているのである.p.100
          YCAM YEARBOOK 2017-2018
          • 物理空間と仮想空間との重なり合い
            • ゲームでは宇宙船になれていたのに、VRではなぜヒト型なのか?
              • 重力と遠近法が前提
                • 認識の変化が起こってもいい
                  • 前提としての平面の重なりのUI
      • 相似的な同一化とポストシンボリックコミュニケーション
        • 実際,人はホムンクルス的な柔軟性が高く,自分の脳で簡単に制御できるようにソフトウェアで結んでやることができれば,現実のどの部分であっても自分の体だと認識される.つま先をぶらぶらすると雲がぶらぶらするようにすると,雲が自分の体であるかのように感じる.このように仮想世界では,物理的世界と違ってあらゆるものが代替可能となる.そしてその結果,新しいことが発見できる.p.326
          • もしアニミズムが「相似的な同一化」,つまり,「完全な同一化」ではなく,「部分的な同一化」(Pedersen 2001: 416)によって定義されるのであれば,ミメーシスはアニミズムを行為へと呼びかけるものである.ミメーシスは,アニミズムの象徴世界における実践的側面,つまりその世界=内=存在の不可欠な様式である.p.53
            ソウル・ハンターズ,レーン・ウィラースレフ
            • 私が主張したいのは,(ユカギールでは)狩猟者が獲物を真似るという状況では,主体つまり「私である身体」と,客体つまり「動物の身体」との間の,この概念上の区別が溶解してしまうということである.そして,狩猟者は主体と客体,自己と他者の両方であるような曖昧なものとして,自らの身体と同様に動物の身体を経験するようになる.p.166
              ソウル・ハンターズ,レーン・ウィラースレフ
        • 頭足類のモーフィングは,コンピュータグラフィクスと似た面がある.関与しているのは二種類の要素.ひとつは表面の模様や質感の変化,もうひとつは形状自体の変化だ.頭足類の皮膚では,色素胞と呼ばれる組織が「ピクセル」の役割を果たしている.色素胞は1つずつ,特定の色素が充満した袋で,それが瞬間的に拡大・縮小する.神経からの信号で赤い色素胞が拡大すると,その「ピクセル」は赤くなる.神経を一定パターンで作動させると,皮膚上を流れるように模様が移動し,アニメーションとなる.形状については,足の配置を変えるだけで魚や珊瑚など,さまざまに変化することができる.皮膚にみみず腫れのようなものを作り,表面の質感を変えることもできる.p.330
          • これは驚くほどの変化であり,かつ,いつの日か,人類が実際に体験するかもしれない変化である.そのとき我々は,記号という「仲介者」を切りすて,直接的に共有体験を生みだすという選択肢を得る.流れるような具象化は,抽象化よりも高い表現力を持つ可能性があるのだ.p.332

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