アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(3)

IDPWによるインターネットヤミ市
のS*の%tが起こります.やったのに慣れていない.いくつかの小さなオフ手渡した民間のコメントはSNS系難戦争になったときのように.または十分に得ていないの心配を「いいね」.誰かが訴えのでYouTubeのビデオは,あなたはもう見ることができない.これらはアップルによって拒否されたためか,アプリはあなたが再生することはできません.むかしたら,インターネットは「自由」のための場所になるはずだった.今日ではそれはとても緊張したのです.
それでは,オフにログアウトし,現実の世界に,立ち寄ってみましょう.インターネット闇-ichiが「ブラウジング」対面のためのフリーマーケットです.
あなた自身のインターネットの自由は私たちと,ここに*取る.
*しかし,誰に危険や違法品,してください!この闇市場は,自由で便利なままにしたい![8]【google 翻訳による翻訳】

インターネットヤミ市(ブラックマーケット*)はリアルで「インターネット的な」ものを扱う,対面方式の蚤の市である.蚤の市とインターネットはともにすばらしいものと役に立たないものを狂信的で秩序なくミックスしている.インターネットヤミ市には,私たちにインターネットをもたらした意志と欲望とかつて私たちがインターネットのなかで見つけた意志と欲望がともに救い出されて,ソーシャルな空間で共有される.インターネットの「バズり」は次第に消えていくなかで,私たちは一緒にインターネットの残光をオフラインで体験する.
*日本語の「ヤミ市」は英語に直訳すると「ブラック・マーケット」であるけれど,「ヤミ」は別表記で「病む/中毒」といった意味も持つ.そのため,より正確に英訳すると「インターネットにとり憑かれたマーケット」となるだろう.このマーケットは危険なものや違法なものは扱わない.ヤミ市は明るいマーケットである.[9]【水野による翻訳】

IDPWは1914年に創設された秘密結社であり,インターネットヤミ市のオーガナイザーである.インターネットヤミ市はインターネットを経由したリアルな場所の価値に対する考察であり,「インターネット的な」という感覚をリアル空間にダウンロードするために使われる場所である.インターネットヤミ市ではインターネットとフィジカルな空間との関係が捻れている.ヤミ市をアートとの関係で考えるならば,日本にはアメリカやヨーロッパがもっている巨大なアートマーケットが存在しない.そのためにIDPWはDISが行っていたようなアートワールドへの批判をしようにも,そこにはそもそも批判の対象がない状態にあった.その結果として,IDPWはインターネットとフィジカルな空間との関係を考えることに集中でき,インターネットとフィジカルな空間双方をハッキングすることができたといえる.

日本のアートワールドにはフィジカルとインターネットという二項対立がもともとなかった.インターネットとの関係で言えば,日本のアートワールドには誰かがそのステイタスを上書きしてくれるのをまつ隙間・周縁的な空間しかなかった.IDPWはその隙間をインターネットのスピリッツが召喚される場所に変えた.IDPWのメンバーやインターネットヤミ市の参加者たちは,インターネットからログオフしている「インターネットヤミ市」というリアル空間でのイベントに「インターネット」があることを感じていた.IDPWメンバーの渡邉朋也は次のように述べている;

インターネット遮断されても大丈夫です.体の中にインターネットがあるんで,インターネット的な感覚があれば別にインターネットはどこにでも顕在すると思うんです.握手しただけでも,インターネット的だなと思うこともあるし,Poke的な.のろしとかもインターネットっぽい気がしますし.インターネット的な感覚があれば,別に何だってインターネットになるので.それは大丈夫です[10].

「体のなかにインターネットがある」とはどんなことなのだろうか.ここで,「インターネット的な感覚」というものを明確にする必要がある.「インターネット的な感覚」とは現在のインターネットではなく,初期のインターネットに由来するものである.ブリュッセルで開催された「インターネットヤミ市5」のホストであるiMALは「日本のコレクティブ・IDPWは初期のウェブの自由と喜ばしい混乱が『リアルライフ』に今もあると誘惑する」[11]と書いている.IDPWが言う「インターネット」とは現在の締め付けが厳しくなってきたインターネットではなく,「初期のウェブの自由と喜ばしい混乱」であり,それはリアルになかった自由をもつウェブだったのである.つまり,渡邉の「体のなかにインターネットがある」という一見突飛な感覚を許容してしまうような自由さが「インターネット的な」ものといえる.しかし,「インターネット的な感覚」は現在ではインターネットがリアルと重なる領域を増やし,リアルトは異なる実験場としての初期インターネットというものが消えつつあるなかで,インターネットそのものから周縁に押し出された感覚なのである.

IDPWはインターネットヤミ市の特徴を「蚤の市」という言葉で記して,「蚤の市とインターネットはともにすばらしいものと役に立たないものを狂信的で秩序なくミックスしている」と説明している.iMALも「インターネットヤミ市は蚤の市からインスピレーションを得ており,蚤の市は隠れた宝と疑わしいオブジェクトや収集物と無用の長物が合わさった無秩序なアッサンブラージュである」と書いている[12].「無秩序なアッサンブラージュ」というのは,インターネットヤミ市を的確に示した言葉である.そして,「蚤の市」というフォーマットは期せずしてインターネットヤミ市をアートワールドと結びつける.なぜなら,ニコラ・ブリオーが「蚤の市」を90年代のアートを体現する形式だと指摘しているからである.

なぜ,マーケットが現代アートで至る所で参照されるようになったのか.まず,マーケットは集合的な形態であり,ひとりの作者の指示によることなく乱雑に,増殖し,終りになく絶えず更新されていく集まりであること.つまり,マーケットはデザインされていないのであって,複数の個人の署名から構成されるひとつのまとまった構造である.次に,(蚤の市という場合で)この形態は過去の生産物を再び組織化していく場所であること.最後に,マーケットはオンラインショッピングで非物質化している物質の流れや関係を具体化し物質化すること[13].

インターネットヤミ市は初期のウェブの精神を組み直す場所であり,リアルとインターネットの関係にあたらしい意味を与えるものである.IDPWはリアル空間が現在の窮屈なインターネットより良いものだとは考えていないけれど,リアル空間の方が現在のウェブよりも初期インターネットにちかいものだと感じている.そのため,彼ら・彼女らは過去のインターネットを「インターネット的な感覚」として改めて意識させて,その自由でアナーキーな精神をリアルに結びける.「オンラインショッピングでの非物質化」を否定的に捉えて,それに対抗するものとして「蚤の市」を持ちだしたブリオーと異なり,IDPWはその「非物質化」を支えていたインターネットの「無秩序なアッサンブラージュ」なスピリッツをリアル空間で具現化したのである.結果として,IDPWはインターネットとフィジカルな空間双方をハックすることになる.

IDPWメンバーの萩原俊矢は「インターネットヤミ市のインターネットをもう1回リアルでやるみたいな感じは,ちょっと二次創作っぽいじゃないですか.ネットの二次創作みたいな感じがするんです」[14]と述べている.萩原の言葉から,IDPWはインターネットをキャラクターとして用いて,「いま,ここ」とは異なる時空間のあたらしい物語をつくっていると考えられないだろうか.そして,萩原の考えは「インターネット」と「リアル」をハッキングするひとつの方法なのではないだろうか.まず,IDPWはインターネットとフィジカル空間のあいだにある隙間を探し出し,その隙間に「インターネットヤミ市」というインターネットを二次創作した物語をインストールして,空間の意味を変えてしまう.その結果として,「インターネットっぽい感覚」という現在ではインターネットからも周縁に追いやれた「かつてリアルにはなかったものとしての自由な感覚」が召喚されて空間の意味が上書きされ,インターネットとリアルとが重なり合う「インターネットヤミ市」が立ち現れる.

IDPWは「インターネットっぽい感覚」をフィジカルにダウンロードして,インストールしていく.しかし,それは単なる初期インターネットに対するノスタルジーではない.単なるノスタルジーであれば,「インターネットっぽい感覚」が現在の窮屈なインターネットにインストールされるだろうし,初期インターネットそのものがネット上でリメイクされるだろう.IDPWはこれらの手段をとらずに「インターネットっぽい感覚」をリアルな場所にダウンロードする.ネットをリアルに落としこむというねじれた方法論は,IDPWが初期インターネットへの単なるノスタルジーを喚起したいわけでも,現在のウェブをインターネット上で覆そうとしているのでもないことを示している.IDPWは現在のウェブではインターネットの領域外に追いやられているインターネットの本質を「インターネットっぽい感覚」というかたちで召喚して,インターネットとリアルの意味を同時に変更していく「インターネットヤミ市」というあたらしい物語をつくっているのである.

インターネットヤミ市は様々な観点からインターネットを扱った商品を売っている.インターネットヤミ市はDISOWNのように対立項としてアートマーケットをもたない.その結果,DISOWNよりも直接的にインターネットを扱った商品が並ぶことになる.ネットアートの黎明期から活躍しているエキソニモは,赤いテープでつくられた四角い枠を「スペーサーGIF」を販売していた.もちろん,これは冗談である.「スペーサーGIF」とはウェブページのデザインでかつてよく用いられていた透明な画像である.エキソニモは「透明な画像」を赤いテープでつくって,それを「スペーサーGIF」と言っているのである.インターネットおじさんは,名前の通りその存在自体が「インターネット」をフィジカルに体現している.彼はTwitterのフォローをリアルで行う「リアルフォロー」を販売していた.それは購入者のあとを実際に追い続けるというものである.インターネットおじさんはヴィト・アコンチの作品を真似ているわけではなく,単にTwitterのフォローをリアルで行っているだけであって,それは「スペーサーGIF」と同じで冗談なのである.インターネットヤミ市にはインターネットに関連した多くの「冗談=商品」が並んでいる.来場者は,それらの冗談が面白いといったら商品を購入していく.

もしインターネットに関する冗談を楽しめなければ,インターネットヤミ市はとても残念な場所であろう.インターネットをリアルな場所にダウンロードするという試みは,「Send me the JPEG」展が示しているようにそのほとんどが来場者を失望させるものである.しかし,インターネットヤミ市はこの残念な状況をとても楽しんでいるイベントになっている.インターネットヤミ市はいつも活気あふれる蚤の市になっていて,インターネットで活動している多くの人たちをリアル空間に引き込み,そこでインターネットを楽しみながら,人と人が次々にリンクされていく場になっている.

「残念」という言葉はインターネットヤミ市の成功を説明するものである.IDPWは第2回のインターネットヤミ市の宣伝文で「わざわざ行かないと買えない、残念なEC」と書いている.ここで使われている「残念」は否定的な意味はなく,「リアルにわざわざ行く」ことを楽しもうという肯定的な意味になっている.多くは否定的に使われる「残念」を肯定的に使うことで,IDPWはリアルとインターネットのねじれた関係を示そうとしている.そして,日本のサブカルチャーについて多くの著作があるさやわかは「残念」という語が示すねじれた感覚が2010年代の日本の若者文化を表していると考えている[15].

2006年から10年代でのインターネットに関する大きな変化といえば,日本的にはニコニコ動画の登場であり,世界的には2007年のiPhone登場によってインターネットが日常したことがあげられるだろう.このような変化のなかで,日本ではネガティブな意味での「残念」という語で指し示されていた「幼稚なサブカルチャー」の若者文化が,その言葉の意味を肯定的に使用するというハッキング的な発想で自らの文化の価値を転倒させた.そして,iPhoneなどのスマートフォンが日常とインターネットとを結びつけたことと呼応し,肯定的な「残念」の意味と文化を拡散していったと考えられる.「大人」から見れば「残念」な価値観を逆転し,日常に拡散していく手法が,インターネットヤミ市の「残念」感とはシンクロしている.さやわかが指摘する「残念」の変化からインターネットヤミ市を形成する価値観が形成されたとも言えるだろう.

インターネットヤミ市はインターネットの「残念」をインターネットで展開するのではなく,リアルに持ってくる.IDPWは「終了して,ログアウトして,変化のためにリアルに立ち寄ろう」と言って,「インターネットっぽい感覚」をリアルな場にダウンロードして,インストールする.そうすることで,リアルとインターネットの双方の価値をハックして,あらたな枠組みをつくっていく.IDPWのメンバーであり,エキソニモとしても活動する千房けん輔と赤岩やえはインターネットを通したリアルな場の意味の再発見を次のように述べている;

赤岩- そうそう.リアルな場所にみんなが,意識が集中するっていうか,そこで,つながる・・・.
千房- 独特の連帯感みたいな・・・.
赤岩- 昔ってもっとさ,掲示板があったりとか,みんな集まる場所みたいなのがネットにあったけど,今って,時間がバラバラでもつながれてるとかさ[16].

IDPWはネット上の掲示板のようなリアルな場をつくろうとしている.もともと,BBSはリアルな場所で人があつまるという機能をインターネットにインポートしたものであって,そこでは時間や場所に関係なく人が集まってくるというインターネット独自の連帯感が生まれていた.しかし,BBSは少し窮屈なウェブ2.0では消滅していく.インターネットがリアルそのものになろうとしたからである.そこで,IDPWはインターネット独特の連帯感を復活させようとリアルの場にBBSのような場をつくる.インターネットのようなリアルな場は,現在のウェブで周縁的なものになっている初期インターネットを再組織化した「インターネットっぽい感覚」によってフィジカルな場所をハッキングして,場所のプロパティを変更することで生じる.2010年代の若者文化が「残念」の意味をハッキングしたように,IDPWはリアルの場にインターネット独自の感覚をインストールするという方法によって,インターネットヤミ市独特の感覚をつくりだす.インターネットヤミ市はインターネットを経由したあたらしい「面と向かうこと」をリアルに実装するのである.それは,インターネット以後のリアルな場所がもつあたらしい機能を示すことでもある.


参考文献・URL
8. IDPW, The Internet Yami-ichi, http://yami-ichi.biz  [Accessed 2nd, August 2015].
9. Internet Yami-ichi (Internet Black Market), http://www.transmediale.de/content/internet-yami-ichi-internet-black-market  [Accessed 2nd, August 2015].
10. Tomoya Watanabe. Interviewed by Masanori Mizuno. 5th July 2014.
11. iMAL, Internet Yami-Ichi 5 in Brussels, http://www.imal.org/en/page/internet-yami-ichi-brussels [Accessed 2nd, August 2015].
12. Ibid.
13. Nicolas Bourriaud, Postproduction, trans. Jeanine Herman (New York: Lukas & Sternberg), 28-29.
14. Shunya Hagiwara, Interviewed by Masanori Mizuno. 4th July 2014.
15. Sayawaka, Jyunenn-dai Bunka-ron [An Essay of Japanese Youth Culture in 2010s] (Tokyo: Seikai-sha), 54.
16. Exonemo. Interviewed by Masanori Mizuno. 4th July 2014.

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