アートにおけるインターネットとフィジカルの関係(1)

A relationship between the Internet and the physical for the art の日本語訳.英語版からだいぶ変更されています.
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アートにおけるインターネットとフィジカルの関係
水野勝仁/甲南女子大学

アブストラクト
Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている」と指摘している.この論点はアートの物質性に関わるものである.インターネットの非物質性は物質に基づいたアートワールドを混乱に投げ入れた.私はこの論考でインターネットとフィジカルの関係という観点から,アートワールドで生じている混乱を論じていきたい.そのために,Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展,DISによるDISOWN,IDPWによるインターネットヤミ市という3つ事例についての考察を行う.最初に,「Send me the JPEG」展がインターネットとフィジカルという二項対立の複雑性を示していることを明らかにする.次に,DISOWNがネットとフィジカルの二項対立を克服し,それらが重なり合う領域に「ポストインターネット」というあたらしい価値をつくろうとしていることを指摘する.最後に,インターネットヤミ市がネットとフィジカルの二項対立をジョークで笑い飛ばしながら,それらの重なりからはみ出た領域を組み直して「インターネットっぽさ」という感覚を現実世界にダウンロードして,インストールしていることを示す.

イントロダクション
Julian Stallabrassは「ネットアートの美学[The Aesthetics of Net.Art]」で「インターネットアートの『オブジェクト』は従来のアートのオブジェクトから遠く離れたものであり,それらは劣化なしで複製できるだけでなく,伝送のコストもほとんど無料になっている(もしくは,いやむしろ,一度初期投資をしてしまえば,個別の伝送のごくわずかなコストはゼロに近い).もちろん,安価に複製可能な芸術的なメディアはこれまでも長い間存在していた.しかし,それらをひろく伝播させようとすると流通のコストがかかった」[1]と指摘している.この論点はインターネットアートと物質的なアートの関係から出てきたものである.インターネットアートはその非物質的性質から,ほとんど完全なコピーとしての作品をどこにでも表示させることができる.しかし,物質性に基づいている現代美術もまた急速に非物質的性質を獲得しながら,インターネットを自らの領域に取り込んできている.インターネットの非物質性はかつては「インターネットアート」という限定された領域の出現というかたちでアートワールドに混乱をもたらしたが,今では,その非物質性自体がアートワールドに広まることで混乱が起こっている.

3つの事例研究
Stallabrassが記述するインターネットアートは10年前のものである.今では,インターネットと物質的なアートの関係はより複雑になっている.この複雑化した状況を示すために,Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展,DISによるDISOWN,IDPWによるインターネットヤミ市という3つの事例研究を行っていく.

Winkleman Galleryによる「Send me the JPEG」展
つまり,「Send me the JPEG」展はコレクションにおけるこのあたらしい時代において,何を得て何を失ったのかを考察するものである.アクセス性の増大と情報の流れは,かつてイメージとアイデアを拡散することを難しくしていた圧倒的な地理的障害を取り除きつつある.資本が集中することに伴う現代美術の作品と展示の増加は,以前よりも多くのアーティストが存在できることを可能にしている.これらはポジティブな面である.同じ理由で,作品と見る人の基本的な関係が断片化してきている.まさに,このあたらしい秩序のなかで,写真での作品の見え方(作品自体が写真であっても)が,それが何でできているかとか,それがどのようなコンテクストのなかにあるのかといった他のすべての関心に勝るものになっている.「破壊的技術」とうまく名付けられたものに適応しなければならない.しかしながら,最終的に,私たちは「Send me the JPEG」展があたらしい作品を実物で見るという経験にまだ価値があると主張するものだと信じている[2].

Winkleman Galleryのステートメントはインターネットアートだけでなく,伝統的なアートワールドもインターネットの非物質性を受け入れつつあることを示している.絵画,彫刻,インスタレーションの作品が触れることができないJPEG画像への変換され,世界中に拡散されていく.結果として,多くのアートコレクターがそれらの伝送コストがほとんどかかっていないJPEG画像を見て,アート作品を購入する.実際,半数以上の現代美術のコレクターは実物を見ることなく,デジタル画像を見ただけで作品を購入していく.Winkleman Galleryはこの状況を「ギャラリーの物理的空間を超えて私たちのアーティストを売り込むことができる範囲をデジタルで拡大できるにとても期待している.けれども,JPEG画像だけで作品を購入するコレクターの増加が.「フィジカルな経験」の未来にどの程度の劇的な効果を与えるのかは少々懐疑的である[3]」と考えている.そこでWinkleman Galleryは,作品のほとんど完璧なコピーが作品の販路を拡大しつつもアートコレクターの「フィジカルな経験」を侵食している状況を検証するために,ギャラリー所属アーティストのグループ展「Send me the JPEG」展を2013年に開催した.彼らは・彼女らは「Send me the JPEG」展に実物の作品は一切展示せずに,作品のデジタル画像のみを大型ディスプレイで展示したのである.私たちは実際の物質的な作品を見たいと思って物理世界にあるリアルギャラリーに行くのだけど,Winkleman Galleryはオンラインギャラリーのように作品のデジタル画像だけを展示したのである.

「Send me the JPEG」展は物理空間の重要性が何であるかを問いかけている.インターネットはアートワールドにとってリアル空間がもつ価値に揺さぶりをかけた.リアル空間だけが物理的な作品をそのままのかたちで展示できる.しかし,作品を実物で経験する価値はインターネットによって絶対的なものではなくなった.インターネットアートはブラウザで見るものが実物だからである.それらは「ヴァーチャル」と呼ばれていたが,確かに作品の実物なのである.インターネットアートの作品は作品としてネットに表示されていた.このネットにあるものはネットではそれがそのままひとつの現象・出来事・行為であるという感覚が徐々に明確になってきたのが現在の状況であり,その感覚がJPEG画像などに波及していったと考えることできる.だから,アートコレクターはJPEG画像を見ただけで作品を購入してくのである.ギャラリーにとってインターネットは地理的制約を超えたリアル空間とは異なるもうひとつの展示スペースになった.その結果として現在,リアルギャラリーがフィジカルな展示スペースの重要性を再考せざるを得ない状況になっているのである.「Send me the JPEG」展は作品の実物のためのフィジカルな空間を投げ捨てて,インターネットのようになったようにみえる.しかし,リアル空間は地理的制約からは解放されないのである.

1990年代から2000年代までのアートワールドでは,リアル空間がインターネットに対して圧倒的な価値を持っていた.2010年代に入って,絵画や彫刻といった伝統的メディアを用いた作品が,ネットアートのようにインターネットを介して世界中に拡散されるようになり,その流れのなかで,インターネット上の現象・出来事・行為がリアルと同等の実効性をもつという感覚が生まれ,アートコレクターがJPEG画像を見ただけで作品購入を決定するようになった.つまり,ギャラリーにとって,インターネットが展示の物理的空間と等価値,もしくは地理的制約を受けないという点では,インターネットの方が物理的空間より価値をもつものになったのである.そのような状況のなかで,「Send me the JPEG」展はインターネットで実際の作品として機能していたJPEG画像を物理的空間に展示した.Winkleman Galleryの実験は,物理的作品と非物質的なJPEG画像の関係を裏返しにしたともいえる.JPEG画像がリアル作品と同じように機能しているならば,それを物理空間に置いても同じだろうということである.このことが意味するのは,かつてはインターネットが物理的空間に従属していたが,今では物理的空間がインターネットに従属しているということである.

物理的空間がインターネットに従属するようになったことは,アートギャラリーにとって良いことなのだろうか,それとも悪いことなのだろうか.ほとんどの人はリアル空間の方がインターネットよりも重要だと考えるがゆえに,アートギャラリーにとって良くないことだと結論づけるだろう.しかし,Winkleman Galleryは「これは想像上のグループ展である.私たちは実際にはこれらの作品をギャラリースペースに同時に展示することは決してできないのだから[4]」と書いている.JPEG画像はインターネットが現実空間に対して圧倒的に優位な特性としてもつ「広大なスペース」をギャラリースペースに持ち込んだといえる.しかし,それは「フィジカルな経験」の喪失というネガティブな性質も同時にギャラリースペースに持ち込むことを意味する.しかし,ィスプレイで見たものも実効性を持ち始めているのだから,「「フィジカルな経験」の喪失」も悪いものとも言えなくなってきている.だが,インターネット,ディスプレイ上の現象・出来事・行為の実効性は現段階では通常のインターネット体験,例えば,家,大学,職場などでのインターネット接続に限定されているのであって,ギャラリーなどのリアル感が強調されるところではまだ実効性をもたないのかもしれない.したがって,アートギャラリーは物理的空間がインターネットに従属することに対して明確に肯定も否定もできない状況にあるといえる.


参考文献・URL
1. Julian Stallabrass, The Aesthetics of Net.Art, http://www.courtauld.ac.uk/people/stallabrass_julian/essays/aesthetics_net_art-print.pdf [Accessed 2nd, August 2015].
2. Winkleman Gallery, Send Me the JPEG, http://www.winkleman.com/exhibitions/796/images/34990 [Accessed 2nd, August 2015].
3. Ibid.
4. Ibid.

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