メモ:Spiritual Computing,回路,ヒトの最後/最期の行為の記録
エキソニモの《Spiritual Computing a.k.a. ゴットは、存在する。》シリーズを「ヒトの最後/最期の行為の記録」として位置づけてみたい.ダグラス・エンゲルバートによってヒトとコンピュータとが共進化していく場として「インターフェイス」が設定されていたけれど,ヒトの進化が遅く共進化は遅々として進まない.インターフェイスは「共進化の場」ではなく,ヒトとコンピュータとを取り込んだより大きな存在を構成する「回路」だと考えた方がいい.ヒトはコンピュータの登場によって,コンピュータとともに「回路」を構成するスイッチになっていたことに,エキソニモの《Spiritual Computing》は気づかせてくれる.そして,エキソニモの作品を考えることは,ヒト中心主義から脱却した「Spiritual Computing」を現われを示すことにつながる.
「インターフェイス」を共進化の場として捉えると,そこではヒトはまだヒトであり,コンピュータはまだコンピュータであって,それぞれが各個機能していると考えられる.ヒトはコンピュータに指を置きながら,コンピュータを操作していると思っていたし,コンピュータはヒトから情報入力を受付け,演算処理をして出力していた.けれど,それは「コンピュータの操作」ではなく,ヒトがコンピュータに指を置くことで自分でない,そしてコンピュータでもない,より大きな存在の「回路」を構成するスイッチになることであった.
エキソニモはインターフェイスという「回路」からヒトを取り去ってしまった.インターフェイスからヒトが取り除かれたけれど,コンピュータは動いた.エキソニモは《Spiritual Computing》シリーズで,ヒトがいなくなってもコンピュータが作動し続ける「B面の世界」を提示した.ヒトがいなくなってもコンピュータが動くが,インターフェイスはヒトに合わせてつくってあるので,ヒトの行為の痕跡がインターフェイスを組み合わせた作品には残り続ける.コンピュータと共進化していく存在だと思い込んでいたヒトが消滅する前の「最後/最期の行為」が,ヒトの不在によって鮮明に浮かび上がる.ヒトの痕跡を残しつつ,コンピュータ自体はヒトの不在に関係なくこれまで通り回路の一部を構成するスイッチとしてオン・オフを繰り返し,情報をつくり続ける.