「\風景」電子版:「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」
新津保建秀の写真集『\風景』の電子版が出たので,早速アマゾンで購入してみた.電子版は『\風景』を再構成した「\landscape」と,ももいろクローバーZ,やくしまるえつこなどの写真を追加した「\landscape_archive_7.5」の2種類でている.
まずは,「\landscape」をiPhoneのKindleにダウンロードしてみた.表紙をスワイプして次の「ページ」へ行くと,写真集「\風景」では多くが1ページに1枚の写真だったのが,「\landscape」では下のように表示される.
2枚の写真=画像が画面に余白を残して配置されている.iPhoneだとだいぶ小さく感じる.なので,ピンチして拡大する.これは写真集でもできないし,「\風景+」で展示された作品でもできないこと.当たり前のようだが,電子版だからできるのである.
「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」は基本的に,自分で勝手に画像を拡大・縮小,移動させながら見ていくものだと思う.スワイプして次にいき,ピンチして拡大して,移動する.その繰り返しで「写真」を見ていく.そうしていると「ずいぶんと雑に扱っているな」というか,「『写真』に触り放題だな」という感じなった.新津保の個展「\風景+」 では作品に触れるということは,自分のなかのモラルと社会的に一線を超えないとできないことであり,写真集『\風景』を見ているときは,とても丁寧にページをめくって見ていたのに比べると,ディスプレイに触りまくって「写真」を動かすというのは異質の感じであった.
私は「\風景」を写真集,展示,電子版で体験しているのでるが,写真集では見ることに集中していて,そこに写っている「スクリーンショット」の意味などから「ネット」と「リアル」とのあいだで意識がフラフラさせられたのを覚えている.展示の「\風景+」ではもちろん見ることに集中していたわけだが,不意にとても強く作品に触れたくなり,写真の体験が「視覚」と「触覚」とのあいだを彷徨った.それは作品提示の仕方が「紙にプリント」や「アルミマウント」などととても効果的であったからである.それらの展示による写真の質感と,普段触れているようで触れていない「デスクトップ」や,実際に触れているiPhoneのガラス面の感覚などがオーバラップして,私たちが普段触れていると思っているものは何なのだろうかと考えたのである.では,電子版はどうかというと,写真集と展示にあった「ネットとリアル」や「視覚と触覚」といったふたつの極のあいだを行き来するような感覚が起ることはなかったのである.
どうしてだろうかと考えているのだが,いまのところの一番の自分なりの解答は「電子書籍に慣れていない」という身も蓋もないものである.どこをどのように見ればいいのかがわからない.拡大・縮小をしながら,よく見ようとするのだが,この拡大・縮小,そして移動が見ることを邪魔しているようにも感じられたりする.写真集の電子版を見ているという感覚がスワイプを「ページめくり」とするが,実際にはそこに「めくる」という行為はない.なので,「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」を見ていると,毎日iPhoneに触れているのに,そこで行なっている行為の「感触」や画面の「質感」みたいなものを,なにひとつわかっていないと感じることになる.もう既に充分に慣れていると思っていた感覚がリセットされる.それは新津保の「\風景」を「写真集→展示」と見てきたプロセスも関係していると思われるので,最初から電子版を体験したらまた異なる感想かもしれない.
「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」は収まるべきところに収まったという感じもしている.デスクトップのスクリーンショットを写真として提示していた写真集「\風景」がリアルの空間での展示「\風景+」を経て,「デスクトップ」に帰っていく.iPhoneで見ているので,そこに「デスクトップ」と呼ばれるものはないのであるが,ディスプレイに提示されるひとつ平面に帰っていく,元々いた所に戻るという感じがする.それゆえに「ネットとリアル」や「視覚と触覚」といった「感覚の揺れ」を,私は感じなかったのかもしれない.
「元々いた所に戻る」と書いたけれども,デスクトップのスクリーンショットをiPadに表示して,それのスクリーンショットを撮った「写真」が「\landscape_archive_7.5」に収められており,微妙なズレを含んでいるのだが,それに対しても「そうなんだよね」という感覚しか起こらなかった.「デスクトップ on iPad」の「写真」を展示で見てしまっているから,「初見の驚き」がないのは当然だとしても,それを見ているときの自分の「不感症」具合はとてもおもしろいものであった.上に書いた「収まるべきところに収まった」という感覚が影響しているのかもしれない.「微妙なズレ」を「ない」ものにしてしまうような「ハマリ感」みたいなものが電子版にはある.しかし,その「ハマリ感」の出処はまだいまいち掴めていない.
また,トーマス・ルフの「jpegs 」のような画像も「\landscape_archive_7.5」に収めらている.「写真」を拡大し続けた結果として出てくる,デジタル特有の質感がここにもある.ルフは「圧縮」で,新津保は「拡大」というちがいが興味深い.このようなところに,上の「ハマリ感」を掴むための取っ掛かりがあるのかもしれない.
これは作品自体とは関係ないのだが,「\landscape_archive_7.5」のアマゾンのページで「利用可能な端末」を確認すると「iPhone」がなかったので,最初「Kindle Paperwhite」にダウンロードしてみた.もちろん「Kindle Paperwhite」なので,「写真」が白黒で提示された.その後,なぜかiPhoneのKindleに「\landscape_archive_7.5」が勝手にダウンロードされたので,「対応早いなアマゾン」などと思いつつ「カラー写真」で作品を体験したわけである.電子書籍はデバイスごとに見え方が全く異なることを強く実感できて,面白い体験であった.
今回の記事で使用した画像はすべて
撮影/新津保建秀
初出/角川書店「\風景」
(http://www.kadokawa.co/jp/))2012年4月10日発行
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Based on a work at http://touch-touch-touch.blogspot.jp/.