2021年の振り返り

2021年にはこの投稿を含めて13本の記事を書いています.2020年が13本だったから,同じですね👻 ちなみにnoteには40本の記事を書いているので,合計して53本の記事を書いたことになります.2020年は51本の記事を書いていたので,ほんの少しだけ増えました☺️

https://note.com/wrap_up/annual_2021/7e947113-c180-49b8-b565-3abdfb3ec4aa

2021年はMASSAGEで「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」の連載が終わりました.ひとつの物体に現れる,同じでありながら外界とのインタラクションのあるなしで異なる名称を与えられるバルクとサーフェイスを考えてきて,この連載を通しての「バルクとは何か」ということを最後に2回書きました.アート作品を媒介にした世界認識の方法として面白いので,本にまとめたいな📘

連載つながりで,ÉKRITSでの連載「インターフェイスを読む」を久しぶりに更新しました.iPadOSのポインタについてです.
カーソル/ポインタをインターフェイスのミニマルセルフと考えて,もう1,2本テキストを書けたらと考えています.「インターフェイスを読む」も,インターフェイスの歴史と現象学的な考察とが入り混じったテキストで他にないと思うので,こちらも本にまとめたいです📗

写真評論を毎月発信していく「FOUR-D notes」で,「フラットネスをかき混ぜる🌪」という連載を書いていて,その3回目を書きました.3回目から無料で読めるようになりましたが,4回目が掲載できるかどうかはわかりません😵‍💫
このテキストの元になっているのが,日本映像学会関西支部での「ヒトの眼・機械の「眼」に対して「情報源」として機能するフラットネス」という発表です.
写真に関連するテキストをあと2つ書きました.
前者は外界を色情報に変換する装置としてのカメラ・写真を論じていて,後者は,ヒトの非意識で処理される外界の情報と予測情報とを捏ね回す表象として写真を論じています.

秋庭先生から「水野くんは,写真を論じた方がいいよ」というアドバイスを発表後に受けたのが,名古屋でのリレートーク「注ぐ/注がれる」でした.名古屋での同窓会のような感じでした.
大学院でお世話になった茂登山先生との一枚

教科書的な本『[クリティカル・ワード]メディア論』の「触覚メディア」の項目を執筆しました.
最後に,エキソニモ関連で2つ.ひとつは,ÉKRITS に掲載してもらった《Realm》という作品の考察.こちらは,《Realm》,エキソニモを介してのインターフェイス論,特に,タッチパネルに関してのテキストになっています.もうひとつは,テキストではなく,トークに出たよというものです.
エキソニモに関してのテキストも,ブログを含めると多くなってきました.こちらも,エキソニモというフィルターを通したインターフェイス論,特に,マウスとカーソルを中心にしたGUI論として面白いものだと思います📕 エキソニモに関しては,2022年3月に論文が出ると思います.

MASSAGEでの連載が5月に終わってしまい,テキストをあまり発表してない感じでしたが,まとめてみると多くはありませんが,ぼちぼちありました.2022年は,ÉKRITSに書いたこの文章を発展させていきたいなと考えています🥸
インターフェイスに見えているだけでも情報は確かにそこにあるが,触覚や聴覚,さらにはそれらをもとにした錯覚を組み合わせて,ヒトに体験におけるディスプレイの向こう側の情報という存在の確かさの強度をあげることを,AppleはiPadOSのポインタをはじめとする最近のインターフェイスデザインで試みていると,私は考えている.   
そのために,連載「インターフェイスを読む」の続きを書いたり,noteで大森荘蔵の『新視覚新論』をインターフェイスに絡めた文章を書いたり,インターフェイスでこれまで考えてこなかった「音」についてのテキストを書いたりしていきたいなと思っています📱💻⌨️🖥🖱

このブログの人気の投稿

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

画面分割と認知に関するメモ

デスクトップ・メタファーと「ディスプレイ行為」 

カーソルについて何か考えたこと,または,エキソニモの《断末魔ウス》《ゴットは、存在する。》の感想

あたらしい「痛み」をつくる

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_27

札幌国際芸術祭のメモ:松江泰治とラファエル・ローゼンダール

田中一光→セミトランスペアレント・デザイン

MASSAGE連載06_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとを含む「波のようなマテリアル」