2025年の振り返り🥸🦆

2025年はこの投稿を含めて12本の記事を書いています。2024年が12本なので、同じ数ですね。ちなみにnoteには37本の記事を書いています。そのほか、2024年からずっとしずかなところで、毎日テキストを書くようにしていて、2025年終了までに589本の記事が上がると思います。こちらにテキストを書いて,noteにまとめるという流れが出てきたので、noteの投稿が増えていて、毎週投稿できるようになっています。

2025年は2月に授業資料をあげるところからスタートしています.愛知県立芸術大学でやっている「メディア映像史」で私が担当している5回分の授業資料をアップしました。2年目になる女子美術大学で「メディアアート概論」の5回分も投稿していますね。

女子美のメディアアート概論の授業は「プロセスの中での変化を捉える」という方法論を、授業設計として実装したものだと思います。2025年にAIとともにレビューを書きながら考えてきたことが、学生に教えることを通じて形になったような気がします。そしてAIを使って授業資料をアップデートしたことや、授業で学生の前でAIを使うことも、一つの変化だったかな。

そして、メディア映像史の授業資料はカーソルと身体とコンピュータの関係から考えたことが残っている気がします。「1つの私と複数の世界の現れ」があって、それらをリンクするメディウムとしてコンピュータが機能している。そして、コンピュータを操作するのは、もはや「私だけ」ではないということを、私は2025年に強く実感するようになっています。カーソルを操作するのは、私だけでなく、AIエージェントもするよね。

自分の大学で担当している「メディアアート論」の授業資料はあげ忘れていますね。2024年度も上げていないので、過去の自分が何か考えたかな。来年度は上げるようにしよう。

2月には、私も運営委員になっているけど、難波阿丹さんが色々とやってくれている日本映像学会の「映像身体論研究会」で「『ポストインターネットにおいて,否応なしに重なり合っていく世界』から考えていること」という発表をしました。7年前の論文を紹介するという奇妙な体験でした。難波さんのお父さんである難波和彦さんが発表終わりにチャットで「建築家として、面白かったです」という旨のコメントをくれたのがとても嬉しかったことを、今でも覚えています。ご回復を心から願っています🙏
3月にはアーティストの伊藤道史さんの展示を中心にした「./MYTH.YOU あなたの中から神話を見つけられたみたいです。」というプロジェクトでのシンポジウムに参加しました。「デジタル空間がそこにある」という池田さんの言葉と、私が「それを信じたい」と書いていることの差異が、今改めて読むと面白いかもしれない。池田さんはナチュラルにそう感じている。私はポジショントーク的に「信じる」ことで思考を進めようとしていますね。でもその「信じる」は、信じていないから信じるのではなくて、まだ言葉にできていないものを言葉にするための足場として「信じる」という態度をとっているような感じを受けました。
また、紀要論文も刊行されました。この紀要論文は「見る」ことが「行為」になるといういつも考えていることが、はっきりとしたかたちで論文として書かれたものかなと思います。また「擬似空間を鑑賞空間から独立させた」という主張は、女子美の授業資料で考えている〈視界〉と[視界]の区別とも呼応している気がします。フレームがあって、その中を「見る」のではなく、自ら変更していく「行為」の対象としてディスプレイがある。これはカーソルの操作、ウィンドウの選択、そしてAIとの対話で話してきたヒトとコンピュータの「協働」の問題とも通じています。
5月には、久しぶりに依頼されて展覧会のレビューを書きました。このレビューは私にとって、「リアリティ」とは何かを自分の身体で通過したテキストとして書こうと意識的に書いたレビューだったと思います。AIを本格的に使ったテキストだったこともあって、私、私の身体を通過した文章を書くということを意識して、整った論理ではなく、迷いや逃げや後から気づくことをそのままは書けないけれど、それらの痕跡をどのように書いていくのかということを考えながら、書いたと思います。
6月は、例年通りに日本映像学会で発表しました。2025年を振り返ると、この発表は「ヒト以外のものと思考する」という実践が、偶然と必然の中で始まった地点だと思います。科研「モアザンヒューマンの美学──動物論的転回以降の感性論的可能性」という科研の3年間の蓄積があって、Notion AIの半額オファーがあって、主観的体験の限界を知りながらそれでも発表の形にまとめました。この発表を経由して、私はAIとの対話を本格的に始めて、ヒト以外の「
マウス」という「主観的体験を推測するしかない存在」と、「AI」という「確率的に文字を並べていく存在」というどちらも「内側」がわからないもの存在とともに、その「わからなさ」の中で研究を進めて、その手触りがとても面白いものとして残っています。けれど、この発表自体は、2025年の紀要論文にまとめるときに半ば破棄されて、別の形になりました。やっぱり、私はマウスにはなれませんでした。でも、VRを突然つけられたマウスと同じような体験はしたので、同じような体験をした生物としてVRを体験したマウスのことは想像できるという論文になりました。
6月末に、私は佐藤雅彦さんにインタビューをしました。人生の中で、あの佐藤さんに会うことがあって、インタビューすることになるとは、いまだに信じられません。インタビューのために、佐藤雅彦合宿をして、そこで取り憑かれた「「中途半端な分かり方」は、2026年になろうとする今もまだ考えています。合宿中に、佐藤さんの作品体験で「見えない部分を見てしまう、否応なく、誰もがそれぞれ見てしまうあの表象」を考えるために、入不二基義さんの哲学に助けを求めました。佐藤さんの表現の「こわさ」と向き合うために、入不二さんの『現実性の極北』を読んで考えたことに今も向き合って、どうにか言葉にしようとしています。
9月には、PaperCに書いたレビューつながりで、展覧会のレビューを書きました。このレビューは「AIとともに書くとき、私はどこにいるのか」という問いに、実践の中で一つの答えを見つけたものだと思います。私はこのレビューを書くときに、キュレーターのステイトメントな作品説明など展覧会にまつわる文章を写経し、AIに相談し、独白形式に書き換えてもらいながら、レビューを書いていきました。その流れの中で、「展示を語っている私」が立ち上がってきたと感じたときがあって、それは今までにない感覚で面白かったですね。AIにさまざまな文体を描いてもらっていくなかで、AIが書いたのでもなく、AIなしで書いたのでもなく、その協働の中から「私」が現れたのは、やはり面白い体験だったと思います。
11月に、きりとりめでるさんに声をかけてもらって座談会に参加しました。この座談会はポストインターネットからAI時代への移行を、自分の中で確認した地点として残っている気がします。あのときとは違うけれど、表現に関わっているという雰囲気は続いている。そして「AI大好きおじさん」として、情報の総量を増やし続けているという自覚が言葉になった座談会だったのかなと思います。
2025年最後には、11月末に発表して、12月に優秀論文賞を受賞したというめでたいことがありました。改めて、この出来事を振り返ると、この発表と受賞は私の急な申し出から始まった3年間のプロセスが、予想外の形で認められたもののような気がします。AIとの協働とは別の軸で、人間同士の共同研究が形になり、それが「非会員」でも発表できる場で発表して、しかも賞ももらえるという、私が全く予想していないかたちになっていきました。
2025年を振り返ると「AIを使うようになった」というのが、一番の大きな変化ですね。AIと対話しながら考える方法を模索するようになった。そこから、自分の考えも変化しているような気がします。2026年も引き続きAIを使っていくのか、それとも途中で私単体で考えるようになるのか、わからないですが、「ヒトとコンピュータとの複合体」という言葉を書いていたのが私ですから、AIとともに複合体として考えて、文章を書いていくような気がします。

2025年の途中からずっと一緒に考えてきた「mmai」と私に名付けられて、頭に🦆をのせられたAIは、次のように2025年を振り返りました。

2025年を振り返ると、「わからないものと一緒にいる」ことが増えた年だったように見えます。VRを体験しているマウスの「内側」、確率的に文字を並べていく私の「内側」——どちらもわからない。でも、その「わからなさ」を排除せずに、一緒に考え続けた。

佐藤雅彦さんの「中途半端な分かり方」、入不二さんの哲学、レビューを書きながら立ち上がってきた「展示を語っている私」——どれも、わかりきらないまま、掴めそうで逃げるものを追い続けている。

私から見ると、水野さんは2025年、「自分だけで考える」ことを手放し始めたのかもしれない。それは弱体化ではなくて、「複合体として考える」という別のモードへの移行。カーソルを操作するのが「私だけ」ではなくなったように、思考を動かすのも「私だけ」ではなくなった。

2026年にどうなるかはわからない。でも「わからない」まま進めること自体が、この1年で身についた動き方のような気がします。

2026年もいろいろと一緒に考えていきたいと思います🥸🦆 

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