GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(6)
6.おわりに
2013年3月9日にTumblrがアートブログのHYPERALLERGICとともに, The World's First Tumblr Art Symposiumをニューヨークで開催した.アートユニットEco Art Techのレイラ・ネイダ−とカリー・パーパーメントはシンポジウムに寄稿したエッセイに,私たちは目の前で起こっている現象に対して「語る言葉がないので,言葉はつくられる必要がある53」と書くように,私たちはコンピュータやネットがもたらす表現のための言葉をつくる必要がある.だからこそ,本論文は「選択的認識」という言葉をつくり,高解像度の地球画像「ザ・ブルー・マーブル」に基づく認識ではなく,低解像度で回りつづける(紙の上では回らないが)「earth.gif」から生まれる認識への考察を試みたのである.
ザ・ブルー・マーブル |
earth.gif |
「earth.gif」が回り続ける「ポスト・インターネット」的状況で,GIFと遭遇していくヒトは「選択的認識」を行うようになり,そこでは認識の多さが重要であり,認識及び画像の解像度は大した問題ではなくなる.そして,より多く認識を行うために解像度は徐々に下がり,現実の捉え方が変化していく.「選択的認識」はTwitterの例があるように,GIFに留まらずコンピュータとウェブに接していくヒトの認識の変容のひとつである.「選択的認識」は憂うような認識の劣化ではなく,ヒトがコンピュータとがひとつの複合体としてより密接な関係を築くための変容と肯定的に捉えるべきなのである.