Daniel Temkinの《Unicode Compressure》:圧縮の先にある四角
CLICK | GALLERYでDaniel Temkinの《Unicode Compressure》 (Gallery_B) が展示されている.Daniel Temkinはニューヨーク在住の写真家,デジタルメディア・アーティストで,プログラマー.
《Unicode Compressure》を見に行くと,Unicodeから6個の文字・記号がランダムに選ばれて,それらが組み合わせられブラウザの中央に配置されている.左上に「resolution: 389 : 1200」とあり,その下に組み合わせられている6つの文字・記号.さらにその下には,中央の図形の一部を拡大したものが表示されている.
図形をしばらく見ていると,徐々にボヤけて見えていくことに気づく.同時に「resolution」の数字が減っていっている.つまり,時間とともに「解像度」が低くなっているのである.私が見ている環境だと,解像度はなぜか1200からではなく,800から始まり,最終的には0になる.解像度が50くらいまでは6つの文字・記号からなる図形のかたちを認識できるが,それ以下になると急激にかたちが崩れていき,最終的にはかたちがなくなり,画面全体を赤く覆ってしまう.
Unicodeと解像度いうコンピュータのデフォルトの要素を使っている.CLICK | GALLERYの説明には「ウェブの要素を緻密に組み合わせては破壊していく」とあるが,ここにあるのは「破壊」なのだろうか.確かに,組み合わせられた図形は崩れていく.しかし,最終的に崩れる際にみせる「大きな四角の組み合わせ」は,これはピクセルという「四角枠」を表現の最小単位として選んだコンピュータのミニマルな「かたち」なのではないだろうか.
Daniel Temkinの《Unicode Compressure》を見ていると,解像度が低くなればなるほど,圧縮すればするほど,ディスプレイ上のプリミティブなかたちが「四角」であることを意識することになる.ここと呼応するとようなツイートをエキソニモの千房氏がしていた.インターネットは「四角」でできていて,それは「情報」として扱いやすからという指摘.これは《Unicode Compressure》が「破壊」の先にひとつの原理を示していることを教えてくれる.
千房氏はさらに続けている.
「情報」であるとともに,ヒトがそこに「自然」を見てしまう「フィジカル」でもある「ピクセル」を「解像度」というパラメーターで操作することで見えてくるのは,コンピュータの自然だろうか,ヒトの自然だろうか.それともヒトとコンピュータとの複合体がつくりだす自然だろうか.
図形をしばらく見ていると,徐々にボヤけて見えていくことに気づく.同時に「resolution」の数字が減っていっている.つまり,時間とともに「解像度」が低くなっているのである.私が見ている環境だと,解像度はなぜか1200からではなく,800から始まり,最終的には0になる.解像度が50くらいまでは6つの文字・記号からなる図形のかたちを認識できるが,それ以下になると急激にかたちが崩れていき,最終的にはかたちがなくなり,画面全体を赤く覆ってしまう.
Unicodeと解像度いうコンピュータのデフォルトの要素を使っている.CLICK | GALLERYの説明には「ウェブの要素を緻密に組み合わせては破壊していく」とあるが,ここにあるのは「破壊」なのだろうか.確かに,組み合わせられた図形は崩れていく.しかし,最終的に崩れる際にみせる「大きな四角の組み合わせ」は,これはピクセルという「四角枠」を表現の最小単位として選んだコンピュータのミニマルな「かたち」なのではないだろうか.
インターネットはすべて四角でできている— sembo (@1000b) April 27, 2013
真の意味で四角い部位がひとつもない人間が作ったものなのに何故— sembo (@1000b) April 27, 2013
ディスプレイのピクセルだって適当な形のつぶつぶが適当に並んでいるのだったよかったはずだけど、四角が整然と並んでいるのは、そのほうが情報として扱いやすいから— sembo (@1000b) April 27, 2013
Daniel Temkinの《Unicode Compressure》を見ていると,解像度が低くなればなるほど,圧縮すればするほど,ディスプレイ上のプリミティブなかたちが「四角」であることを意識することになる.ここと呼応するとようなツイートをエキソニモの千房氏がしていた.インターネットは「四角」でできていて,それは「情報」として扱いやすからという指摘.これは《Unicode Compressure》が「破壊」の先にひとつの原理を示していることを教えてくれる.
千房氏はさらに続けている.
「情報として扱いやすい」がために自然の摂理を放棄しているコンピュータの世界で、自然な色合いとか風合いを出そうとしているの遠回りでオモロイ、と思ったら、自然界だって原子とかミクロで見たら似ている
— sembo (@1000b) April 27, 2013
「情報」であるとともに,ヒトがそこに「自然」を見てしまう「フィジカル」でもある「ピクセル」を「解像度」というパラメーターで操作することで見えてくるのは,コンピュータの自然だろうか,ヒトの自然だろうか.それともヒトとコンピュータとの複合体がつくりだす自然だろうか.