ヒトの身体をナメてはいけない

ワコムの最新液晶ペンタブレット「Cintiq 13HD」がいよいよ登場! タナカカツキ×伊藤ガビンによる未来の機械のレビュー!!」がとても面白いです.何が面白いって,「手が邪魔(笑)! 」というところ.

カツキ:でも,一点言わせてください.画面に向かって直接描くことによって,画面と目との間に手がありますよね.そうすると手に目のピントがいっちゃうんですよ(笑).手が邪魔に感じるんですよ.
ガビン:もう手を使うな! ノーモア手!  
カツキ:手が邪魔(笑)!  
ガビン:言いたいことはわかるんですよ.本来、絵を描く行為って,紙とかキャンバスとかに手で描いてたわけだけど,だけどIntuosみたいなペンタブレットを使い込んで完全に自分のものにすると,手元と画面が離れてるから手が視界を遮らないんですよね.
カツキ:そうそう.でも「手が邪魔」って言うてる人いないでしょ? それは絵を描いていると目が進化して,手が視界に入らなくなるんですよね.
ガビン:手が透明になっていくんですね .
カツキ:どんどん透明になって絵だけが立ち上がるようになっていくんですよね.だけどペンタブレットユーザーにとっては,Cintiqで,手がまた邪魔になった(笑)! でも,手を透明にする機能って僕らの体に染み付いてるんで,ものの数分で慣れるんですよねー.
インターフェイスにおけるヒトの身体にあり方がここにある感じがします.僕たちは自分の身体を「透明にする機能」を持っている.道具のデザインが良くて,道具が身体に馴染んでいると言われることが多いけれど,「馴染んでいる=身体の透明化」だとすると,それは道具云々というよりも,ヒトの能力によるところが大きいのではないかと考えるわけです.

タブレットと画面が離れていると,手は視界に入らないわけだけれども,ペン先を示すカーソルは視界に入っているわけです.マウスとカーソルでも同じです.視界のなかに手はないけれど,カーソルはある.でも,カーソルは見えているのか見えていないのかよくわからない存在のまま機能している.それは,ヒトが自分の手を透明化するように,カーソルも透明なものになっているのかなと.

この対談を読んでいると,ヒトの身体は面白いなと思います.タナカさんがCintiq 13HDに対して「すごいことを発見した」と,
カツキ:あのね,発表しますと,Cintiqって机の上にペタっと置いて使う時は下を向いて描くことになるじゃないですか.でもペンタブレットの時は立ってる画面を見ながらなので視線はまっすぐでしょ? このふたつの姿勢は,作るものにすごく影響すると思うんです.文章でも机の上の原稿用紙に向かうのと,コンピュータとかワープロに向かって書くのとじゃ,たぶん内容変わってきますよ.
と言うんですね.この「姿勢」のことは,インターフェイスを考える上でとても重要だと思います.僕はタブレットを使わないけれど,キーボードでテキストを書くのと,iPhoneでテキストを書くのでは,どこか違う感じがあります.キーボードのほうが前を向いて,ディスプレイは比較的遠くにあるので,「テキストの全体」を見ている感じがして,iPhoneだと下を向きながら,近くの小さな画面を見るので「テキストの細部」を見ている感じがします.単に画面の大きさが問題なのではないかとツッコミを受けそうですが,それを画面と眼のあいだにある空間を感知している身体感覚の問題として捉えることが,インターフェイスを考える上でとても重要なことだと思われます.

コンピュータも進化しているけれど,それ以前にヒトの身体もいろいろと外界に適応してきたわけだから,その能力をナメてはいけないのです.インターフェイスがいろいろなかたちで,私たちの行為をあたらしく引き出していくとすると,それに対して,身体が今まで培って機能をフルに使いながら,次の機能を獲得していくと考えると,ここにはダグラス・エンゲルバートが考えた「ヒトとコンピュータの共進化」が生じるわけです.

エンゲルバートが「知能」のまえに「身体」ということでマウスを開発して,それがGUIというかたちで一般化したあとは,ヒトとコンピュータとのあいだの「知能」の共進化が進められていったように思われます.コンピュータやネットが一般化して「知能」のあり方はある程度これまでとはちがうかたちになってきたような感じがするので,これからは「身体」の共進化も考えていく必要があるのかなと思います.

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