そこに見えているのは「雷雨」か,それとも「何か」か?
CLICK | GALLERYでJon Satrom 《Storm Cloud Computing》 (Gallery_A) が開催されている.Jon Satromはシカゴ在住の「ダーティ[dirty]」ニューメディア・アーティスト.
《Storm Cloud Computing》はAppleのiCloudの「雲」を用いた作品.ところどころグリッチした背景に多くの「雲」が表示されていて,ところどころはループで動いていて,音も流れている.クリックすると,別の画像が表示されていく.
グリッチ自体は珍しいものではなくなった.この作品を興味深いものにしているのは,《Storm Cloud Computing》というタイトルだろう.「クラウド」を示す画像を文字通り「雲=Cloud」として捉えて,「嵐=Storm」を「グリッチ=Computing」つくりだしている.コンピュータが生み出す世界を「もうひとつの自然」と捉えることが多くなってきている.そうれであれば,データ上に発生する「雲」を使って「嵐」という現象を起こすこともできる.
これは単に言葉遊びというか,モチーフ=メタファーの選択の仕方にすぎないともいえる.けれど,この作品のとなりにラファエル・ローゼンダールの《looking at something》を置いてみると「もうひとつの自然」の「自然さ」というか,その考え方の枠のようなものがネットで活動する作家にはあるのではないかという感じになる.
《looking at something》はカーソルに位置に応じて,ウィンドウ内が「晴れ」であったり,「雨」だったり,「雷雨」になったりする.このシンプルなインタラクションに惹きつけられるのでだが,ここで見ているのは何かと考えると,よく分からなくなる.「ウィンドウ=窓」というメタファーを活かして,外の「自然」を見ている感じもするのだが,もちろんそれは現実の自然ではないし,リアルさを求めているわけでもない.「デスクトップ・リアリティ」というか,作品のタイトル《looking at something=何かを見ている》が示すように,それはブラウザのウィンドウ内に生じている「何か」としか言えないものであり,その「何か」を示すのに「自然」が使われているにすぎない.
Jon Satromの《Storm Cloud Computing》も同じ構造だと考えられる.ウィンドウ内に表示されるのは「雷雨」のようであるが,「計算=Computing」の結果による「何か」であって,それは「自然」とは別ものである.それは「もうひとつの自然」ではなくて,そこにしかない「何か」である.
「何か」は「自然」ではない.だが同時に,ふたりのアーティストはその「何か」は「自然」に近いものだと感じている.だから,「自然」のモチーフを借りて表現せざるを得ない.そして,これらの作品を見る私たちも,そこに「自然」や「もうひとつの自然」を認めたくなってしまう.しかし,ここで求められているのは,見ているものが「自然」というメタファーでは捉えることができない「何か」でしかないということを認めることなのである.
《looking at something》はカーソルに位置に応じて,ウィンドウ内が「晴れ」であったり,「雨」だったり,「雷雨」になったりする.このシンプルなインタラクションに惹きつけられるのでだが,ここで見ているのは何かと考えると,よく分からなくなる.「ウィンドウ=窓」というメタファーを活かして,外の「自然」を見ている感じもするのだが,もちろんそれは現実の自然ではないし,リアルさを求めているわけでもない.「デスクトップ・リアリティ」というか,作品のタイトル《looking at something=何かを見ている》が示すように,それはブラウザのウィンドウ内に生じている「何か」としか言えないものであり,その「何か」を示すのに「自然」が使われているにすぎない.
Jon Satromの《Storm Cloud Computing》も同じ構造だと考えられる.ウィンドウ内に表示されるのは「雷雨」のようであるが,「計算=Computing」の結果による「何か」であって,それは「自然」とは別ものである.それは「もうひとつの自然」ではなくて,そこにしかない「何か」である.
「何か」は「自然」ではない.だが同時に,ふたりのアーティストはその「何か」は「自然」に近いものだと感じている.だから,「自然」のモチーフを借りて表現せざるを得ない.そして,これらの作品を見る私たちも,そこに「自然」や「もうひとつの自然」を認めたくなってしまう.しかし,ここで求められているのは,見ているものが「自然」というメタファーでは捉えることができない「何か」でしかないということを認めることなのである.