GIFとの遭遇:選択的認識と低解像度のデフォルメされた世界(5)

5.画像ファイルとしてのGIFとデフォルメされた世界
 次に,GIFにおいて「選択的認識」がヒトに強く作用する理由を考えてみたい.美術批評家のボリス・グロイスは「画像ファイル」に関して,ファイル自体は見ることができない,つまり「オリジナル」を見ることができないものだとしている.その上で,「画像ファイル」に基づいてディスプレイに表示される「画像」は「コピー」ではなく,楽譜に基づいた演奏などに似た一回限りのパフォーマンス的なものであると指摘している46.ディスプレイに表示されている画像は「オリジナル」と「コピー」という関係が成立しないもので,パフォーマティブな画像だというグロイスの指摘は興味深い.「画像ファイル」のというあらたな画像のあり方が「選択的認識」に作用していると考えられる.しかし,この性質はすべての画像ファイルに当てはまるものであり,これだけでは「GIFとの遭遇」が,なぜ認識の変化の兆しを示すのかを説明できない.

 1024個のGIFアニメを売買する場として2011年に《GIF MARKET》47をつくったキム・アセンドルフとオラ・ファッチは,GIFはその低解像度とアニメーションによって,画像ファイルは最終的にはプリントされるものという認識を変えるものだと考えている.そして,GIFにとってはディスプレイこそが「ホーム」であるから,たとえそれがグロイスの言うように見えないものであったとしても,ファイル自体が「オリジナル」として価値を持つのだと指摘する48.だから,彼らはGIFの画像ファイルを売るのである.これと対比できるのが,写真家のトーマス・ルフの『jpegs』49という写真作品である.ルフはJPEGが過度に圧縮された際に生じる「アーティファクト」と呼ばれるノイズにデジタル特有の美を見出す.彼はネット上に流通しているJPEG画像をさらに圧縮したノイズ混じりの画像を「プリント」して写真として提示する.ここでは,デジタル特有の「アーティファクト」がディスプレイとファイルとの結びつきから引き離されて提示されている.GIFとは異なりJPEGでは「画像ファイル」と「ディスプレイ及びコンピュータ」との「分離」が成立する.

 JPEGと異なりGIFはディスプレイから分離できないからこそ,ポスト・インターネット的状況でネットを主な表現の場にするアーティストたちに独自の存在感を示している.千房はそのひとつの例として「earth.gif」をあげている.

数年前に懐かしく思って,earth.gifをたくさんコレクションことがあった.それを最近のマシンで再生したら,ものすごいスピードで回転し始めた.地球の住人が全員遠心力で宇宙に飛ばされるくらいの速さだ.当時のマシンではいい感じに回っていたんだろうけど,PCのスペックが飛躍的に向上したことでearth.gifの回転スピードが劇的に上がってしまったのだ50

 GIFはその表示の際,画像ファイルという「オリジナル」が見えないのは他の画像形式と同じだが,千房の指摘する「earth.gif」が示すようにコンピュータのスペックによってその表示が変化してしまう.GIFの見え方は,それを見る者だけなく,それを表示するコンピュータからも直接的に影響を受けるのである.だから,GIFは画像ファイルを表示するコンピュータと結ばれたディスプレイから離れることができない.つまり,ヒトとコンピュータの双方を低解像度のディスプレイ平面に巻き込むパフォーマティブな見え方こそが,GIFという画像ファイルをコンピュータ特有の「選択的認識」と強く結びついた特異な存在にしているのである.

 最後に,『GIF BOOK』に掲載された渡邉朋也の「なか卯山口湯田温泉店午前2時」が示す,GIFと「選択的認識」のもとにある世界のあり方を見てみたい.渡邉は牛丼・うどん・親子丼チェーン「なか卯」のトップページの画像形式の変遷を追いながら,Flashが現実を「完全」に捉えるのに対して,GIFはその「制約」によって現実を「不完全」に捉えていると比較する51.ここで「完全」と言われているのは,Flashが映画やテレビのような映像をつくることを指している.つまり,人間の知覚能力に合わせて1秒間に24コマが映されたり,走査線の変わるレートが決められていることが「完全」なのである.対して,GIFの256色などの制約は人間の知覚や認識の能力に合わせられているのではなく,スペックが低かった頃のコンピュータの能力に合わせて決められている.それゆえにGIFとヒトの認識は完全には一致しない.しかし,そもそも現実自体が時間とともに劣化していく「不完全」なものと考えるならば,「不完全」なGIFこそが現実の不完全さを「完全」に捉えていると,渡邉は考える52.ここには,低解像度のGIFアニメが示す「不完全さ」と噛み合うように,現実を時間の流れとともに劣化していく「不完全」なものとして捉える認識が生じているのである.

 映像そのものが「画像ファイル」というあたらしいあり方になっていることから,ディスプレイ上の画像はこれまでとは異なる映像のあり方「も」示すべきである.テレビも映画も高解像度化を「画面」単位で推し進めたが,コンピュータは「ファイル」単位でその解像度を設定できる.これはひとつの利点である.だから,GIFはコンピュータのディスプレイの解像度が上がった今でも,「選択的認識」と結びついた解像度を気にしないパフォーマティブな「画像ファイル」として存在し続けることができるのである.そして,ディスプレイ平面でのGIFとの遭遇のなかで,ヒトに解像度の高さではなく,より多くの認識を求める「選択的認識」というあたらしい認識様式が生じていく.その結果として,膨大な量の低解像度の認識がなされ,それらがネットおよびコンピュータの世界とヒトの世界のあいだのズレを埋めていき地続きにしていく.そしてその先に,ヒトとコンピュータの複合体に最適化された低解像度のデフォルメされた世界=「earth.gif」が示されるのである.

46 Boris Groys, From Image to Image File—and Back: Art in the Age of Digitalization in Art Power, MIT Press, 2008, pp.84-85.
47 http://gifmarket.net/ (2013.3.13)
48 Kim Asendorf & Ole Fach, http://kimasendorf.com/gifmarket/README (2013.3.13)
49 Thomas Ruff, jpegs, Aperture, 2009.
50 千房けん輔「GIF アンド ユー ドント ストップ!!」古屋蔵人・いしいこうた編『GIF BOOK───コンテンツ制作者のためのGIFガイド』株式会社ビー・エヌ・エヌ新社,2013年,25頁.
51 渡邉朋也「なか卯山口湯田温泉店午前2時」古屋蔵人・いしいこうた編『GIF BOOK───コンテンツ制作者のためのGIFガイド』株式会社ビー・エヌ・エヌ新社,2013年,150-151頁.
52 同上書,150-151頁.

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