フラットベッドについてのメモ

フラットベッドではあらゆるモノがコラージュされる.あらゆるものが平面に重ねられる.垂直ではなく,水平であること.机の上に映像をプロジェクションするように.

デュシャンの大ガラスはヒトが直立姿勢で知覚した世界を表しているのではなく,情報のマトリックスが垂直状態に都合よく置かれているのだ.デュシャンのレディメイドは90度,モノを回転させる.

「平面的な物はイメージと実体とのあいだの行き来が可能です」という藤幡の言葉.
モノをどんどんキャンバスという平面の上にコラージュしていくラウシェンバーグ.

藤幡とラウシェンバーグの比較を行いたいわけではない.平面にいろいろとコラージュしていくことの意味を考えたい.というか,藤幡の重ならないモノとイメージとのコラージュ(《未成熟なシンボル》)と平面の重なりから作られた立体(《禁断の果実》)における「平面」を考えたい.そこで,レオ・スタインバーグの「フラットベット絵画平面」での「平面」に言及してみること.

「フラットベット絵画平面」における「平面」は,なんでも受け入れる概念的な「平面」である.デュシャンやラウシェンバーグは,この「平面」にモノを置いていく.どれだけモノをおいても平面でありつづける不思議な平面を作っていく.

「フラットベッド絵画平面」はGUIでの不思議な平面と似ている.コンピュータは可能にしたなんでもシミュレートすることで,あらゆることが可能になるような平面.藤幡はこの概念的な「平面」を基盤にしている.そして,《禁断の果実》では「平面」を重ねて立体にしようとする.重さを感じさせない立体ができがある.それは重さを持たない概念が具体化したモノだからである.《未成熟なシンボル》では,「平面」の上に平面的なモノとイメージとを並べる.いや違う.平面的なモノとイメージという重ならない2つの存在を並べることで,普通の机の上を概念的な「平面」に変えてしまう.

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