21_21 に早く着きすぎたので日陰の涼しいベンチで書いたメモ
エキソニモにカーソルをめぐる作品をおけるループ。「↑」の連鎖で描く入れ子の空間。ディスプレイの平面のなかの「↑」。「↑」はディスプレイの上をループしている。ループするようにプログラムが変えられている。
エキソニモの作品を見ていると、カーソルをどんどん自由になっているような気がする。ヒトから自由になっていく。記録されながらも、再生されているときに、まさに「生き返った」ようにまわりの環境に反応する《断末魔ウス》でのカーソル。マウスを重ね合わせて、勝手に動くようになる《ゴットは、存在する。》のカーソル。仮想空間から抜け出し、現実世界に出てきてヒトを惑わす《↑》でのカーソル。
カーソルが「分身」だとしたら、それは「根拠なき分身」なのであろうか。「位置データ」という根拠をもつカーソル。「位置データ」という根拠から開放されたカーソル。
空間的重ね合わせは、レフ・マノヴィッチの「空間的モンタージュ」を使えば、もっともらしく説明できるかもしれない。でも、それだけではないんだよな、きっと。なんかもっと別の世界が無理矢理重ね合わされているような。無理矢理なんだけど、見た目は普段通りのデスクトップというところがいいんだよな。つまり、私たちの普段見ているデスクトップ自体が、異なる世界の重ね合わせで成立していることを示している。