「身体/記号の拡張の手前」を考える一歩手前のメモ

《Beyond Pages》は,とてもスムーズに身体を拡張し,記号を拡張する.モノとイメージとのあいだに身体を入れ込んで,そこで新たな記号が生じる.モノとイメージのあいだに入り込んだ身体が新しい体験をする.これまでにない仕方で林檎を齧る.

本という平面の重なりでできた物体.平面と立体.机の上に投影された本には重なりがない.机の天板という平面に隙間なく密着している本の映像.本はモノだが意識はページという平面に集中している.だからこそ,《Beyond Pages》での「ぺらぺら」ともすることができない本の映像を誰もが受け入れる.それは本のような映像だと知りながら,本として受け入れる.本というモノが,平面に投影されたイメージになる.この「本」を受け入れた瞬間,私たちにの身体はイメージとモノとのあいだに入り込む.そして,インタラクションがはじまる.

インタラクションの中で拡張した身体は,いつもの馴染みの身体になり,拡張した記号は記号全体のネットワークに組み込まれる.

ここで,投影されている本の薄さに戸惑ってみよう.それは机の木の天板に密着している.ページが重なっているように表現されているが,それは映像上だけで,机の上には何ひとつ立体的なモノがない.なぜこのような映像を本のようなものとして受け入れてしまうのか.

インタラクションの手前に留まること.それは身体と記号を拡張する一歩手前のわからなさで止まること.

このブログの人気の投稿

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

あのマウスカーソル邪魔じゃね?

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

マウスとカーソル:カーソルによる選択行為

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

お仕事:ヒューマンインターフェースの歴史 :「よくわからない」から、身体で感じるコンピューターへ

画面分割と認知に関するメモ

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会

『[クリティカル・ワード]メディア論──理論と歴史から〈いま〉が学べる』への寄稿