インターフェイスの哲学

インターフェイスについて考えることは何を意味するのだろうか.
常に,製品の後追いのような気がする.
でも,なぜ,マウスなり,iPhone が,
一般化し,ヒトの行為を規定するようになったのか.
一般化には,社会的な要因が大きく関わっていると思うが,
行為を規定するものを受け入れてしまうことは,
ヒトの生物的な部分が大きく関わっていると考える.
認識の自然化を押し進める哲学の中で,
インターフェイスを扱うことができるのか.

このように,認識論的作業を科学的探求の予備学ではなく,科学の中で行われる探求方法のチェック作業として考えようというのが「自然主義」のコアにある考え方だ.自然主義の基本テーゼは「第一哲学の拒否」,つまり,科学に先立って科学を基礎づける独自の特権的営みとして哲学を捉えるのはやめて,哲学的探求を科学の内に埋め込まれた,経験的探求の一コマとして考えましょう,ということだったのを思い出してほしい.(p.264)
戸田山和久『科学哲学の冒険:サイエンスの目的と方法をさぐる』

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