ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(1)
みなさんはケータイで友人と話,インターネットで動画を見たりすることが当たり前だと思います.もし明日からこれらの通信・情報技術がなくなってしまったらどうするでしょうか.友人とも連絡がとれないし,時間をどうやってすごしたらいいのか分からなくなってしまうのではないでしょうか.
今回は『風の谷のナウシカ』で描かれている世界を通信・情報技術が可能にしたメディア・コミュニケーションという観点から,私たちが生きている世界と比較していきます.その中で,私たちの世界のあり方を考えていくことになります.
復活しない通信・情報技術
宮崎駿監督の「風の谷ナウシカ」は一度文明が滅んだ後の物語です.一度リセットされた技術.リセットされる前には,車も飛行機などの移動技術もあっただろうし,電話などの通信技術,コンピュータに代表される情報技術もあったでしょう.しかし,ナウシカの世界では通信・情報技術はまったくと言っていいほどに復活していないのです.飛行機は復活して「船」と呼ばれて空を飛んでいます.しかも現在とは異なるより高度なエンジンを用いて飛んでいるにもかかわらず,この世界には電話すらないというのが,今の私たちから見たときの感想ではないでしょうか.ナウシカの世界では,なぜ通信・情報技術は復活しないのでしょうか.
【問い: もし今の技術すべてが失われたとしたら,「通信.情報技術」を再生させますか? 「再生する/しない」を選択して,その理由を考えみましょう.】
通信・情報技術は,私たちにとってごくごくあたり前の存在です.ケータイでいつでもどこでも友達と話し,メールする.それが便利だとも思わないくらいにあたりまえになっています.確かに,ナウシカが映画化された1984年(マンガは1982年から連載開始)には,ケータイはなかった.けれど,宮崎さんの想像力を持ってすれば,容易に描くことができる未来だったのではないでしょうか.1984年と言えば,コンピュータをディスプレイ,キーボード,マウスという「今」のかたちにすることを決定づけた,アップル社のマッキントシュが発売されています.多くの人がコンピュータを使うようになっている「現在」につながる「未来」が1984年に示されていたのです.だとすれば,「風の谷のナウシカ」の世界に通信・情報技術が「ない」という状況は,宮崎さんの明確な意思でなされた選択のもとで描かれていると考えることができます.宮崎さんがコンピュータ嫌いなのは有名な話ですが,電話は使っていたに違いないし,その便利な部分も知っていたと思われます.にもかかわらず,その電話すらもナウシカには存在ないのです.
電話及び通信技術と飛行機は19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて,次々と実用化されていきました.グラハム・ベルによって電話が発明されたのが1876年.無線通信の実験にグリエルモ・マルコーニが成功したのが1894年です.そして,ライト兄弟による飛行機の初飛行が1903年です.人びとはより遠くに自分の声を届けられるようになり,メッセージを目に見えない電波にのせてより速くより遠くに届けられるようになり,遂には,自分の身体自体がより速くより遠くに行けるようになっていったのです.歴史的に早く発明・発見されたからといって,その技術が簡単なものではないことは確かなことなのですが,飛行機の方が電話・通信よりもあとに作り出されているということは,ナウシカの世界における技術を考える上で知っておいていいかもしれません.つまり,ナウシカの世界では,私たちの世界で発明・発見された順序で,技術が復活しているわけではないということです.
ナウシカ世界の「見える」通信
ナウシカの世界においてはメッセージを伝えるには,メッセージを伝える人と伝えられる人とがお互いに見える,もしくは声が聞こえる範囲にいなければなりません.手紙など時間をかけて届けられるものはもちろん別ですが,電話に代表される同期通信において,お互いが見えるあるいは声が聞こえる範囲にいなければならないのです.例えば,映画冒頭でナウシカが王蟲に追われているユパを助ける場面があります.この場面を詳しくみてみましょう.ナウシカがまず何かが起こっていることを示す音を聞きます.そして,何が起こっているのかを確かめるために高い所にのぼり,望遠鏡で確認します.当たり前かもしれませんが,ナウシカが遠くのことをよりはっきり見ることができたのは,望遠鏡が彼女の視覚能力を拡大してくれたからです.そして,信号弾を空に撃ちます.それに対して,この信号弾を見たであろうユパが信号弾を撃ち上げます.ユパからの信号弾を見て,ナウシカは動き出します.ナウシカとユパは互いの存在をはっきりと見てはいないけれど,信号弾を介して「見える」範囲にはいます.信号弾という媒体(メディア)を用いてお互いの「見える」範囲を広げ,その信号弾を見ることで,ナウシカとユパはメッセージのやりとりをしているのです.
もうひとつの通信の例を見てみましょう.トルメキアの船団が「巨神兵」を求めて風の谷に向かっている際,船同士の情報のやりとりに,今では無線通信が使われるところでしょうが,ここでは鏡が使われています.鏡に太陽の光を「反射させる/させない」のふたつの状態を使うことで,モールス信号のようにメッセージを送っています.なぜ言葉を「鏡の反射あり/なし」に置き換えるのか.それは,あいまいさをなくすためです,伝えやすくするために言葉を別のコードに変換するのです.ここでは鏡による光の反射の過程を直接見ることによって,メッセージのやりとりをおこなっています.メッセージが光の反射の「ある|なし」に変換されていることから,なんとなく信号弾のときよりも情報のやりとりに手間がかかっており,直接さが薄れているようにも感じられます.しかし,信号弾のやりとりも,その弾の軌跡で意味が変わってくるので,それを知らない.つまりコードを知らなければ役に立たないということではトルメキアの鏡の通信と同じです.どちらにしても,ここではメッセージのやりとりのプロセスが直接見える範囲でのみ,通信ができているということが重要です.
お互いが同じものを見ることによって,メッセージのやりとりをおこなう.それは今でもそうかもしれません.メールを自分のケータイから相手のケータイに送る時,自分が見ていたテキストと相手が見るテキストは,文字のかたちや大きさなどは異なるかもしれませんが,文字の並びは同じです.そうでなければ,メッセージは伝わりません.しかし,そのメッセージが伝わるプロセスを私たちは見ているでしょうか.メールの仕組みを知っているという人はいるかもしれませんが,メールがやりとりされている過程を,信号弾や鏡のやりとりのように見たという人はいないと思います.私たちはメールのやりとりのプロセスの中に見えない部分があることを気にもしないし,電話で相手の声を直接聞いてると思っているでしょう.現代の通信の多くには必ず「見えない」部分があり,私たちはメッセージを伝えるメディアそのものを見ているわけではないのです.対して,ナウシカの世界での通信では,メッセージのやりとりをする媒体そのものが見えています.ナウシカの世界では,比較的遠くのふたつの地点でメッセージをやりとりする際に,その通信のプロセスがすべて「見える」というのが,今の私たちとは異なるところです.通信のすべてが「見える」というのは,通信の媒体を知覚できるということです.
ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(2)
今回は『風の谷のナウシカ』で描かれている世界を通信・情報技術が可能にしたメディア・コミュニケーションという観点から,私たちが生きている世界と比較していきます.その中で,私たちの世界のあり方を考えていくことになります.
復活しない通信・情報技術
宮崎駿監督の「風の谷ナウシカ」は一度文明が滅んだ後の物語です.一度リセットされた技術.リセットされる前には,車も飛行機などの移動技術もあっただろうし,電話などの通信技術,コンピュータに代表される情報技術もあったでしょう.しかし,ナウシカの世界では通信・情報技術はまったくと言っていいほどに復活していないのです.飛行機は復活して「船」と呼ばれて空を飛んでいます.しかも現在とは異なるより高度なエンジンを用いて飛んでいるにもかかわらず,この世界には電話すらないというのが,今の私たちから見たときの感想ではないでしょうか.ナウシカの世界では,なぜ通信・情報技術は復活しないのでしょうか.
【問い: もし今の技術すべてが失われたとしたら,「通信.情報技術」を再生させますか? 「再生する/しない」を選択して,その理由を考えみましょう.】
通信・情報技術は,私たちにとってごくごくあたり前の存在です.ケータイでいつでもどこでも友達と話し,メールする.それが便利だとも思わないくらいにあたりまえになっています.確かに,ナウシカが映画化された1984年(マンガは1982年から連載開始)には,ケータイはなかった.けれど,宮崎さんの想像力を持ってすれば,容易に描くことができる未来だったのではないでしょうか.1984年と言えば,コンピュータをディスプレイ,キーボード,マウスという「今」のかたちにすることを決定づけた,アップル社のマッキントシュが発売されています.多くの人がコンピュータを使うようになっている「現在」につながる「未来」が1984年に示されていたのです.だとすれば,「風の谷のナウシカ」の世界に通信・情報技術が「ない」という状況は,宮崎さんの明確な意思でなされた選択のもとで描かれていると考えることができます.宮崎さんがコンピュータ嫌いなのは有名な話ですが,電話は使っていたに違いないし,その便利な部分も知っていたと思われます.にもかかわらず,その電話すらもナウシカには存在ないのです.
電話及び通信技術と飛行機は19世紀の終わりから20世紀のはじめにかけて,次々と実用化されていきました.グラハム・ベルによって電話が発明されたのが1876年.無線通信の実験にグリエルモ・マルコーニが成功したのが1894年です.そして,ライト兄弟による飛行機の初飛行が1903年です.人びとはより遠くに自分の声を届けられるようになり,メッセージを目に見えない電波にのせてより速くより遠くに届けられるようになり,遂には,自分の身体自体がより速くより遠くに行けるようになっていったのです.歴史的に早く発明・発見されたからといって,その技術が簡単なものではないことは確かなことなのですが,飛行機の方が電話・通信よりもあとに作り出されているということは,ナウシカの世界における技術を考える上で知っておいていいかもしれません.つまり,ナウシカの世界では,私たちの世界で発明・発見された順序で,技術が復活しているわけではないということです.
ナウシカ世界の「見える」通信
ナウシカの世界においてはメッセージを伝えるには,メッセージを伝える人と伝えられる人とがお互いに見える,もしくは声が聞こえる範囲にいなければなりません.手紙など時間をかけて届けられるものはもちろん別ですが,電話に代表される同期通信において,お互いが見えるあるいは声が聞こえる範囲にいなければならないのです.例えば,映画冒頭でナウシカが王蟲に追われているユパを助ける場面があります.この場面を詳しくみてみましょう.ナウシカがまず何かが起こっていることを示す音を聞きます.そして,何が起こっているのかを確かめるために高い所にのぼり,望遠鏡で確認します.当たり前かもしれませんが,ナウシカが遠くのことをよりはっきり見ることができたのは,望遠鏡が彼女の視覚能力を拡大してくれたからです.そして,信号弾を空に撃ちます.それに対して,この信号弾を見たであろうユパが信号弾を撃ち上げます.ユパからの信号弾を見て,ナウシカは動き出します.ナウシカとユパは互いの存在をはっきりと見てはいないけれど,信号弾を介して「見える」範囲にはいます.信号弾という媒体(メディア)を用いてお互いの「見える」範囲を広げ,その信号弾を見ることで,ナウシカとユパはメッセージのやりとりをしているのです.
もうひとつの通信の例を見てみましょう.トルメキアの船団が「巨神兵」を求めて風の谷に向かっている際,船同士の情報のやりとりに,今では無線通信が使われるところでしょうが,ここでは鏡が使われています.鏡に太陽の光を「反射させる/させない」のふたつの状態を使うことで,モールス信号のようにメッセージを送っています.なぜ言葉を「鏡の反射あり/なし」に置き換えるのか.それは,あいまいさをなくすためです,伝えやすくするために言葉を別のコードに変換するのです.ここでは鏡による光の反射の過程を直接見ることによって,メッセージのやりとりをおこなっています.メッセージが光の反射の「ある|なし」に変換されていることから,なんとなく信号弾のときよりも情報のやりとりに手間がかかっており,直接さが薄れているようにも感じられます.しかし,信号弾のやりとりも,その弾の軌跡で意味が変わってくるので,それを知らない.つまりコードを知らなければ役に立たないということではトルメキアの鏡の通信と同じです.どちらにしても,ここではメッセージのやりとりのプロセスが直接見える範囲でのみ,通信ができているということが重要です.
お互いが同じものを見ることによって,メッセージのやりとりをおこなう.それは今でもそうかもしれません.メールを自分のケータイから相手のケータイに送る時,自分が見ていたテキストと相手が見るテキストは,文字のかたちや大きさなどは異なるかもしれませんが,文字の並びは同じです.そうでなければ,メッセージは伝わりません.しかし,そのメッセージが伝わるプロセスを私たちは見ているでしょうか.メールの仕組みを知っているという人はいるかもしれませんが,メールがやりとりされている過程を,信号弾や鏡のやりとりのように見たという人はいないと思います.私たちはメールのやりとりのプロセスの中に見えない部分があることを気にもしないし,電話で相手の声を直接聞いてると思っているでしょう.現代の通信の多くには必ず「見えない」部分があり,私たちはメッセージを伝えるメディアそのものを見ているわけではないのです.対して,ナウシカの世界での通信では,メッセージのやりとりをする媒体そのものが見えています.ナウシカの世界では,比較的遠くのふたつの地点でメッセージをやりとりする際に,その通信のプロセスがすべて「見える」というのが,今の私たちとは異なるところです.通信のすべてが「見える」というのは,通信の媒体を知覚できるということです.
ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(2)