「スピリチュアルからこんにちは」にこんにちは
ポストインターネットの表現には「スピリチュアル」という要素が多分に入り込んでいる.ネット上の「スピリチュアル」と比較するためにリアルな世界でのスピリチュアルな表現を見るためにアール・ブリュットの展示を企画している美術館「鞆の浦ミュージアム」で開催されている「スピリチュアルからこんにちは」にこんにちはしにいった.
インターネット上のスピリチュアルな表現は写真加工ソフトのPhotoshopの機能を活かしてつくられたものが多い.そのため,そこにはコンピュータ独特のグラデーション表現が多く使われている.また,デジタルでは画像のコラージュが容易なためシュルレアリスムを想起されるような事物の配置がある.多く見られる事物の配置はギリシャ彫刻や大理石の台と植物が並置されているといったものである.それらは誰かひとりがつくったものではなく,集団的に,あるいはPhotoshopというソフトウェア的につくられたものとしてネット上の漂っている.対して,鞆の浦ミュージアムに展示されていた表現は極々個人的な物語に基づいたものが多かった.例えば,千葉県の精神病院に入院中の土屋正彦の作品は「アンドロメダ星雲にある星の大総裁として正義のために戦い続ける自分の亡き父」という想念に基づいているし,神霊研究家,歌手の青樹亜依は「人の想念も含めた地球環境の浄化に全力」を尽くしている.この表現を支える物語の有無が,ソフトウェアという表現媒体から生じるインターネットの集団的なスピリチュアルとリアルの個人的なスピリチュアルを分ける大きなちがいなのではないかと考えた.しかし,これはインターネット上でスピリチュアルな表現を制作している人たちにその制作意図を聞いてみないとわからないことである.
しかし,鞆の浦ミュージアムに展示された圧倒的な物量の表現はネット上で急速に拡散・増殖していくスピリチュアルな画像と似たような圧迫感をもっていた.そして,視覚的な要素だけでなく,普段よりマスクをして生活して素顔を明かさない自称・岡田昇氏のインタビュー音声や青樹亜依の歌声が響く館内はそれ自体がひとつのスピリチュアル空間になっていた.ひとつひとつの表現は表現者個人が強く求める「自分の存在を肯定してくれる絶対的な何者かを精神的に探し求め,最終的には,自分自身でそれを創造」[展示導入のテキストより引用]したものであったとしても,それらは互いを排除することなく全体で「絶対的な何物」を求めていたように感じられた.この個々の表現単体ではなく,それが群体となることでひとつの機能を持ってしまう感じは,Tumblrというウェブサービス上で個々の表現がその文脈から切り離されて「ダッシュボード」というひとつの場で「群体」として流れていくものに変換されて,それがスピリチュアルな感じをもつようになっていくインターネットと似たような構造をもつのではないかと感じた.