2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(2)
宇宙と地上に引き裂かれる恋人をつなぎとめる携帯電話
新海監督が「SFというよりは超長距離恋アニメを目指し」て「ほしのこえ」を制作したと言っているように,このアニメはミカコとノボルの恋のお話です.「タルシアン」という異星人は出てくるし,ミカコが操縦する「トレーサー」というロボットもでてきますが,それらと並んで,私たちが普段目にするような日常の風景もでてきます.新海監督によると「全世界あげての戦時下ということもありタルシアンのテクノロジーを拝借した軍事技術は著しく進化しているが,日常のテクノロジーの多くはほぼ現代と同等で停止したまま」という設定になっています.こうした状況のなかで,ミカコとノボルはお互いのことを想いながらも,SF的な未来の風景と現実的な日常な風景というふたつの異なる世界で生きていくことになります.このことをアニメのキャッチコピー「私たちは,たぶん,宇宙と地上に引き裂かれる恋人の,最初の世代だ」は端的に示しているのです.
そして,「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」をつなぐという重要な役割を果たすことになるのが,2000年前後のかたちを保存した携帯電話なのです.ミカコとノボルがお揃いで持つ携帯電話は,SF的世界と日常的風景をつなぐ大切な道具なのです.そのとき,SF的世界側の道具として携帯電話を私たちが見たことがない装置として描くと,そこにはふたりの距離を瞬時につなげてしまうあたらしいメッセージサービスが実装されている可能性がでてきます.そうすると,ふたりはいつでもどこでも好きなときにメッセージを送り合えます.これでは「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」になれません.だから,携帯電話は日常側の道具として描かれる必要があるのです.そこには「超長距離メールサービス」というあたらしい技術が実装されていますが,あくまでもそれは「メール」という私たちにとって日常的な存在で描かれています.
ここで「メール」と書いているのは正確には「電子メール」という技術になります.「電子メール」はもともと「手紙」としてやり取りされていたメッセージを電子化して送受信できるようにしたものです.「電子メール」は携帯電話の登場以来,誰もが使うようになっていって,いつの間にか「電子」という言葉はとれていきました.ここで興味深いのは,2046年のメールは宇宙を超えるような技術になっているけれど,ふたりの携帯電話でメールを送ったときに「手紙」が表示されることです.「手紙」が「電子メール」になって地球上ではどこにでもメッセージを瞬時に送れるようになって,誰もが「電子メール」を「メール」として使うようになりました.しかし,2046年には「超長距離メールサービス」によって「電子メール」は再び,距離によって届く時間がかわる「手紙」のようなものになっているのです.そのためにふたりはメールで辛うじてつながりながらも,ふたつの世界に引き裂かれていきます.
懐かしいモノクロ液晶の携帯電話
ふたつの世界に引き裂かれていくミカコとノボルは,物語の最後にふたりにとって「懐かしいもの」を互いに想います.それは,ふたりで一緒に体験した日常の風景であり,ミカコが宇宙に行かなければ,これからもふたりで体験していったはずの風景です.そのなかに「携帯電話」は入っていません.しかし,ここで彼女たちの携帯電話が「アンティークモデル」だったことを思い出すと,ふたりはお揃いの携帯電話を選んだときには,「このかたち,なんだか懐かしいね」と言いながら選んだのではないでしょうか.そして,「懐かしさ」が特徴のアンティークモデルの携帯電話は「宇宙と地上に引き裂かれる恋人」をかろうじてつなぎとめる最新の「超長距離メールサービス」を提供してくれる道具でもあります.ミカコとノボルにとって,アンティークモデルの携帯電話は「古い」けれども「あたらしい」もので,今もふたりをどうにか日常的な風景につなぐものです,だから,ふたりは「懐かしい」という感覚を抱かないのです.
では,「ほしのこえ」を見ている私たちにとって,ふたりのアンティークモデルの携帯電話はどんな存在でしょうか.このテキストを書いている筆者は,アニメで描かれている小さな白黒の液晶とボタンを備えた携帯電話を使っていたので,「昔,あれ使っていたな」と,懐かしい感じを抱きます.「携帯電話」と言えば,最初から「スマートフォン」だったという人にとってはどうでしょうか.もしかしたら,「あれ,なんだろう.文鎮か何か?」といった感じで,ふたりが使っている携帯電話に「懐かしさ」を全く感じないかもしれません.使ったことがないものに「懐かしさ」を感じないことは当然です.けれど,ここで不思議なのは「ほしのこえ」を見た人で,一度も「ガラケー」と呼ばれるタイプの携帯電話を使ったことがない人でも,ミカコとノボルが使っている携帯電話に懐かしさを抱くことがあるということです.
使ったこともない携帯電話に「懐かしさ」を覚える要因のひとつとして,小さな液晶がカラーではなくて,モノクロであるということが考えられます.先ほど引用した『SF映画で学ぶインタフェースデザイン』に「グレー系の色が画面に増えると,洗練されていない,または多様な色がインタフェースに使われる前の旧世代の回顧的な印象を与えることができます(p.54)」と書かれています.白黒の映像を見た時に「懐かしい」と思ってしまう人は多いと思います.全く体験したことがないことでも,それがモノクロ映像というだけで,そこに懐かしさを感じるというのは興味深いことです.過去の記録映像だけでなく,あえて「白黒」でつくられたあたらしい映像に「懐かしさ」や「古さ」を感じる人も多いと思います.ノボルとミカコの携帯電話がもつ小さなモノクロの画面は,それを使ったことがない人にも「懐かしさ」を与える効果をもつものなのです.