「耳を澄ます」

「耳を澄ます」ことは,聴くことを可能にする範囲を拡げるための領域を増やす行為といえるが,まずは自分の態度を受動的にすること.音を受け入れることを可能にする受け身の態度を作り上げたのち,そこに音が飛び込んでくる.そのときには,そのとき人は音を聴くのであるが,それは音に呑み込まれることであるかもしれない.


「耳を澄ます」ことって,近頃少ないような気がすると思いつつ,ケータイとの関係を考えたりする.いつでも,どこでもケータイは「耳を済まし」ている,という表現はおかしいだろうか.でも,僕達のまわりにある「みえないちから」を捉えるために,ケータイはひっそりと「耳を澄ます」.でも,そのことによって,僕たちは耳を澄ますことがなくなっている.ケータイによって破られる静けさ.なにもこれは「ケータイ」だけではなくて,「ケータイ」と書いているところにいろいろなガジェットの名前を当てはめれば,それはそれで成り立つような気がする.


インターネット・リアリティということで,インターネットは「耳を澄ます」ことがあるのであろうか,なんてことも考えてみる.「コンピュータの身体性」という言葉が成立すると,そこには「耳を澄ます」こともあり得ると思う.ヒトも耳を澄まして,コンピュータも「耳を澄ます」.そこで聞こえてくるのはどのような音,そして音から広がる風景なのだろうか.

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