サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(3)

ポストシンボリックコミュニケーション
最後にOZのアバターのもうひとつの可能性を考えてみたいと思います.それは「コミュニケーション」についてです.今までの考察で暗黙に前提にしていたことがあります,それは今では多くの人が「インターフェイスの非対称性」を自分の感覚として持っているということです.作品のなかでも,若い人に限らず,老若男女誰もがOZにログインして,アバターを操作している.そして,作品を見ている人も特に何の違和感もなく「OZのアバター」といったものを受け入れられるし,それについて考えるもことができる.つまり,ゲームやコンピュータの体験:「インターフェイスの非対称性」が一般化した今だからこそ,サマーウォーズという作品は生まれたのです.このことの意味はしっかりと考える必要があります.次の引用は,マリオの生みの親として有名な任天堂の宮本茂さんの対談での細田さんの発言です.

細田 本当に,その社会情勢がもたらしたのがあの映画の設定だったと思うんです.そうじゃなければ,とてもああいう設定で普通の人が活躍するってことはできなかったと思いますね.アクション映画はやっぱり,特別な人が活躍するものみたいな部分があって.『マトリックス』じゃないけど,「キミは選ばれし人だ」とか言われないと活躍できない.でも,DSがこれだけ広まっているという世界的な状況があれば,DSや携帯も含めてそこからアクセスできる身近な道具を使うことによって,普通の人でも活躍できるアクション映画が成り立つんじゃないかと.(p.169) 
「PLUS MADHOUSE 03:細田守」キネマ旬報社,2009年

ゲームやコンピュータが当たり前の存在となって,選ばれた誰かがヒーローになるのではなく,誰もがヒーローになれる作品が生まれた,というふたりの話はとても興味深いです.では,誰もがヒーローになれる作品の舞台になっているOZについて改めて考えてみたいと思います.

細田監督作品の特徴と言われる記号的表現.その効用のひとつが,色や形態などを単純化する記号を使うことで,表現にある種のスピード感が得られることだ.単純化とは表現力に制限を加えることだが,その反面,視認性がアップする.たとえばその性質は交通標識などによく現われていて,標識に向かい合った人間はその表示内容にすぐさま反応することが求められる.つまり認知,即反応というスピーディーな認識過程がそこで生じているのだ.記号で溢れたOZ世界とは,そのようなスピード感を持った世界であり,それは実際のネットやコンピュータが持っている世界観でもある. 
『サマーウォーズ 公式ガイドブック』角川書店,2009年

この引用は,「ラブマシーン」がOZの中を滅茶苦茶にしていく場面を説明したものです.OZはアバターが活躍できる世界です.それはヒーローでも,そして悪役でも同じ事です.「ラブマシーン」は,現実の交通局や水道局に勤めている人のアバターを乗っ取って,それらのインフラにいたずらをしていきます.そのときの描写は,道路標識における「→」「時計」「ドミノ」などといったように記号的なものになっています.「ラブマシーン」はただ単に記号を操作しているだけなのに,現実は水が噴き出したり,ありもしないところに火災の出動要請がかかったりする.ここで問題にしたいのは,そうした記号を操作と現実での多くの不具合がを違和感なく受け入れていることなのです.ここにも実は「インターフェイスの非対称性」が生じているのです.

「記号で溢れたOZ世界」は,現実にはないスピード感をもった世界です.なので,「ラブマシーン」による「テロ」は
ある意味,とてもお手軽にテンポよく行われていきます.そして,見ている人はそれを受け入れています.その理由は,既に書いてきたように,ボタンなどを中心とするインターフェイスを操作することで,身体感覚の一部を切り捨てながら,私たちは記号のスピード感を自分の身体に蓄積しているからなのです.その意味でも,サマーウォーズを見ているときの,特にOZの場面を見ているときの身体はコンピュータやビデオゲーム以前の身体感覚ではなく,「記号に溢れる世界」に対応した身体感覚になっているのです.

また,「記号に溢れる」OZでは,日本語と英語などの異なる言語を話す人たちが会話を行うと瞬時に自動翻訳されるシステムが導入されています.自動翻訳がない今の私たちからするとそれはとても羨ましい環境です.ですが,私たちがより「記号に溢れる世界」に適応していくにつれて,言語がもつ解釈のプロセスはとても「遅い」ものになってしまうのではないでしょうか.言語をもっと「→」などの記号にちかいものにしていくという考え,つまり言語ではなく,もっと単純化した記号を用いてのコミュニケーション・システムがOZを含めた仮想世界に実装されていく可能性があるのです.

「仮想世界(VR)」という言葉をつくったシャロン・ラニアーは「ポスト・シンボリック・コミュニケーション」を提唱しています.これはどういうことかというと,言語ではなく,身体のかたちを次々に具体的に変えていくことによってコミュニケーションを行うというものです.ラニアーは仮想世界においける実験から,「人というのは,自分とはまったく違う,おかしな体にもすぐに慣れ,その体で仮想世界を楽しめる」という結論を得ました.これは,これまで考えてきたことですが,ラニアーはモーションキャプチャーなどを用いた身体全体による操作でもヒトはすぐに,ヒト型ではないかたちに慣れるとしています.私たちの身体が既に何にでもなれるように自分の身体も記号として捉えるような感覚になっているとすると,ラニアーの実験結果も納得できます.Wiiなどのモーション・コントロールにおいては,私たちはグレーゴルのような苦悩を味わうだろうと,先に指摘しました.けれど,私たちの身体が感覚レベルで変化しているとすると,インターフェイスが非対称的なものから対称的なものになったとしても,そこに「グレーゴルの苦悩」はないのかもしれません.(みなさんはどう考えますか?)

そして,ラニアーは身体のかたちの自由さをもとに「ポスト・シンボリック・コミュニケーション」を提唱します.この提案が正しいかどうかはわかりませんが,私たちは「言語」を中心としない,もうひとつのあたらしいコミュニケーション手段をOZのような仮想世界で考える必要があります.ラニアーの「ポスト・シンボリック・コミュニケーション」をみてましょう.

このような可能性を私は「ポストシンボリックコミュニケーション」と呼ぶ.わかりにくい概念かもしれないが,これはすぎものだと私は思う.我々が使っている言語をなくすという話ではない.言葉というシンボル,言葉という記号を用いたコミュニケーションも使われつづけるが,ポストシンボリックコミュニケーションの世界では意味が大きく拡大されるのだ.
これは驚くほどの変化であり,かつ,いつの日か,人類が実際に体験するかもしれない変化である.そのとき我々は,記号という「仲介者」を切りすて,直接的に共有体験を生みだすという選択肢を得る.流れるような具象化は,抽象化よりも高い表現力を持つ可能性があるのだ.(p.332) 
シャロン・ラニアー『人間はガジェットではない:IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』早川書房,2010年

ラニアーは「記号という「仲介者」を切りすて」と書いていますが,ここで起こっていることは,記号があふれるOZのような仮想世界で,自分の身体感覚を切り捨て,身体を「記号」にしてしまうことだと考えられます.それを体現しているのが,ハッキングAIである「ラブマシーン」です.「ラブマシーン」は文字どおり身体をもたないので,自らの姿を次々と変えることができるのです.OZでは自動翻訳が導入されていますが,「ラブマシーン」が示すような記号としての言語ではなく,自分の身体自体を変幻自在に変化させてコミュニケーションを行う可能性が開かれているのです.そのために私たちの身体はアバターという単純化したかたちの存在になり,身体感覚からの自由を得ているとも考えられるのです.だからこそ,自動翻訳システムを用いた言語のコミュニケーションに留まることなく,「ポスト・シンボリック・コミュニケーション」などのアバターによって生まれるであろうあたらしいコミュニケーションのあり方を考えることが必要となってくるのです.

参考文献
フランツ・カフカ『変身,掟の前で 他2編』光文社,2007年
渡邊恵太「インタフェースの大変動 最初の三〇年は始まりにすぎなかった」http://www.persistent.org/icc.html
『PLUS MADHOUSE 03:細田守』キネマ旬報社,2009年
『サマーウォーズ 公式ガイドブック』角川書店,2009年
シャロン・ラニアー『人間はガジェットではない:IT革命の変質とヒトの尊厳に関する提言』早川書房,2010年

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