カーソルによる「注意ー指示的結合 」
← は,私たちの注意をその先に向ける.上の動画は tumblr のページをキャプチャーしたものだけど,カーソルを「share on tumblr」の上にもっていくとそこから,← がツールバーの方へひゅっとのびていく.そうすることで,私たちの注意を促し,bookmarklet をツールバーに持っていく行為を喚起する.
注意ー指示的結合
・・・注意というのは,それによってある時点での思考が別の時点での思考に結合され,関係づけられる力のことである.あるいは,記号としての思考という考えを応用すると注意とは,思考ー記号の純粋な指示的結合のことである,と推測される.(p. 189)
私たちの思考を←は方向づける.しかし,ひゅっとのびる緑色の←の前に,私たちはすでに黒い←を見ている.カーソルである.カーソルにも注意を向けている.でも,それは←の方向へ注意を向けているのではない.少なくとも,最初は.どういうことか.私たちはカーソルを最終的に注意を向ける先,アイコンなどに持っていくので,最終的にはカーソルの先に注意を向けることになる.しかし,カーソルを動かす前にはカーソルそのものに注意いっているから,もともと最後の目的地に注意がいっているかもしれない.どちらにしても,カーソルを動かし始めるために,マウスなりトラックパッドなりに手を伸ばすときには,カーソルの先に注意を向けているのではない.いや,向けているのかもしれない.これから始める指さし行為の始点としてのカーソルの先.始点と終点を結びつけその軌跡上にカーソルを動かすために.Twitter では,以下のように書いていた.
カーソルは始点を指し示すとともに終点を指し示す.終点が始点になり終点になる.終点になり,ディスプレイ上のイメージが変化するとカーソルは何も指し示さないことになる.でも,僕たちにはそれに違和感を抱かない?そのとき,カーソルをどこかをまた指し示すための始点と思っているから?
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/7403120234
ディスプレイ上のどこかにある終点への軌跡を描くための始点をカーソルは常に示し続けている? カーソルが緩やかにディスプレイ上のイメージを結びつけていく? それゆえに私たちの注意を中継して,思考と思考,行為と行為とを結合することができる?