カーソルの「重さ」を考えるためのメモ
カーソルの軌跡の速さを変えると,カーソルが「軽く」なったり「重く」なったりするような感じがする.ディスプレイ上のひとつのイメージである矢印が速く動くと「軽く」感じ,遅く動くと「重く」感じる.でも,カーソルに「重さ」なんてあるのだろうか.
運動感覚のなかで力,重さの感覚には,運動中枢のだす運動指令の役割が重要であるといわれています.(p.39)
より重く感じる時には,努力により,すなわち脳からの指令を増して筋をより強く興奮させようとするはずです.つまり,重さの感覚は筋を動かそうとする努力,すなわち脳が筋に送る遠心性の指令に依存していることを示唆しています.(pp.40-41)
ものをつまむ時,触覚受容器はどの働くのでしょうか.ものをつまむ時,運動指令は対象の物理的特性すなわち,形,重さ,材質(表面の性質)によく適合したものでなければなりません.まず視覚的につまむものの存在を知ると,つまむ運動が企画されます.もし対象がすでになじみのあるものなら,過去の経験,記憶が生かされますが,接触後は,触覚受容器から送られてくる情報が運動をコントロールするわけです.(p.144)
カーソルの軌跡の速さを速くしようが遅くしようが,その時に触れているトラックパッドや,掴んでいるマウスといった物理的なモノ自体は変化しない.変化しているのは,カーソルが動く速さだけである.ここでは,モノとヒトとの接触後も,「触覚受容器から送られてくる情報が運動をコントロールするわけ」ではないことになる.触覚からの情報ではなく,視覚からの情報によって,脳の「筋を動かそうとする努力」が変化する.とすると,カーソルの「重さ」は視覚的に構成されていることになる.
もう少しだけ考えてみよう.私たちはカーソルを動かしているときに,自分の手がどのように動いているかを知っている.それは,メルロ=ポンティが「一つの絶対知によって知ってしまっている」と呼ぶものである.軌跡の速さを変えることによって,カーソルの動きと絶対的に知っているこの手の動きとにズレが生じたときに,「重さ」を感じるのではないだろうか? 視覚だけでもなく,触覚だけでもなく,これらが重なり合うなかでのズレが「重さ」を感じさせるのではないだろうか?
以前書いたもの:「一つの絶対知」としてのインタラクティブ体験