アウトライン+メモ:カーソル/身体性の「ある|なし」/モノ|データ|映像
.review のためのアウトラインをノートに殴り書きして,それをツイートしたもの+最後に気になった部分を考えるためのメモ.ツイートするときにやはり書き直しが入るので少しずつ考えが流れになってきている感じがする.今度は,これをノートに写して,そこに長めの文章を書いてみよう. -- アウトライン 1.カーソルについて論じる.→2.先行研究として須永さんの論文.身体の代理記号としてのカーソル.→そうではなくて,「身体」の新たな在り方としてカーソルを捉えるべき.身体を情報空間の中に単なる位置情報に縮減して置くための装置としてのカーソル. http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848167198 3.このことを考えるために斉藤さんの「ラメラスケイプ」論文を参照する.→なぜに文学的想像力でカーソルを説明するのか?→レフ・マノヴィッチによるコンピュータ・レイヤーと文化的レイヤーによる相互浸透の指摘から.認識の重層化. コンピュータ⇔文学的想像力. http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848275095 ラメラスケイプの中で考えるカーソル.カーソルに密接に関係するデスクトップ・メタファー.身体性を帯びたメタファーの1つの構成要素としてのカーソル.ウィンドウの重なりを自由に移動するカーソル=身体性が欠如したキャラとしてのカーソル. http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848549808 デスクトップ・メタファーを「メタファー」として意識しないことと,ラメラスケイプの中で「比喩」が歴史的使命を終えたこと.でも,カーソルはメタファー以前に,マウスというモノに身体的に繋がっている.メタファーが機能しなくなった後も身体との関係を保つカーソル. http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8848793789 「メタファー」が機能しなくなった後も身体との関係を持ちつつ,キャラ化し,ウィンドウの間を自由に行き来することができるカーソル.身体性が「あるかないか」ではなく,その2つが重なり合っているのがカーソル. http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/statuses/8...