ぼわったしてもうひとつの力

自転車がパンクする.外からの力で,チューブが耐えきれなくなって穴が開いたり,破裂するとパンクする.外からの力に耐えるための内からの力がある.内からの力が弱いと,外からの力に負けてしまう.内からの力が強すぎると,それはそれで破裂する.人間も,外圧と内圧とが均衡を保っているから破裂しない.当たり前のようだけど,人間の身体は,本当に滅多のことがないかぎりパンクしない.で,外圧と内圧とが向かい合うところがインターフェイス,皮膚だろうか.でも,皮膚によって,ここから外からの力で,ここまでが内からの力とはっきりと分けることができないのではないかと思った.皮膚は外からの力も取り込みつつ,内からの力もしみ出してきている.皮膚は表面ではなくて,外の力と内の力の双方が滲んで生じるもうひとつの力なのではないかと思った.外からの力も,内からの力も皮膚に近づくにつれて弱くなっていき,なんか滲んだような輪郭のはっきりとしないあいまいなのものになっていくけど,そのあいまいさが,ぼわっとしたひとつの力となるような.そのあいまいさが,人間の身体をパンクしない,破裂しないものにしているのではないかと思った.



このブログの人気の投稿

日本映像学会第51回大会での発表:『映像そのもの』という何かを感じ始める

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

ペンからマウスへ:ヒトとコンピュータとの共進化

スケッチパッドで描く、ふたつの手(1)

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(3)

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

紀要論文「私はマウスにはなれないが、奇妙なシステムは体験できる。」が発行されました。

中途半端な存在|カーソル|コンピュータの身体性