身体と意識だけでなく,第3項としての物質

じーっと動かないでいる.そうすると身体が動かない.考えは頭の中をぐるぐる回る.実際はぐるぐると回っているわけではないけど,身体を動かさないでいると,考えもどこにもいかないというか.と感じていたわけではないですが,あくまでもあとから考えたことですが.身体を動かさないでいると,当たり前のように自分の身体が動かないという事実.そこから,動かさないでいると,身体が物質となっていくような.自分ではというか,内側からは動かせないような感覚になってきます.身体の輪郭はわかるのですが,それがどうしたという感じです.自分の腕のある場所は,はっきりとわかる.それは,動かしているときよりも,はっきりとわかる.何かを考えている領域に,必ずほんの少し自分の動かさないでいる腕がどこにあるのかが示されている.考えという領域に,物質がじわーとしみ込んできている感じ.そうこうしているうちに,じつは,動かさない腕が痒くなってしまったのですが,そのときは動かさないから動けない状態になっていて,そうすると痒さもひいていきましたというか,気がつくとなくなっていた.「気がつく」とということは,どういうことか.それまでも確かに痒かったはずなのに,いや,もう実際痒くなかったのかもしれません.ただ,「痒くない」ということに気づいた時点では,痒さは腕にはなかったのであって,気づく少し前,あるいは大分前から痒さはなかったのかもしれません.輪郭はわかるっているに,痒さはいつからいつまでということがはっきりとはわかりませんでした.いつもだったら,痒くなったらすぐ搔きます.搔いたことで痒さがなくなり,搔いたという感触が残る.そしてその感触も消えていく.その消えていくことには意識は向かないけど.実際に起こっている.身体を物質としてとらえることで,実際に起こっていることを意識しないようにする.でも,その物質はまた身体になる.身体と意識だけでなく,第3項としての物質.

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