身体に「意識」を向けること

ペンを持っている手の皮膚の感覚とペンを持っているという筋肉と関節から生じている感覚.それらを感じている「意識」.それらを感じていることを生じさせるように手を制御している「意識」.「意識」とは関係なく(関係なくはない?),皮膚とペンという物質との間に生じている感覚.物質との間に生じる皮膚の感覚が,筋肉と関節を制御している.意識からの制御と物質からの制御.「意識」と物質と身体との間のフィードバック.フィードバックを外から見るのではなく,内側から見るようにすること.フィードバックループの外側から,このループを意識すると,ふたつの別々の平面がある.フィードバックループの中に,見ること(意識)をもっていくと,意識とフィードバックループが同一平面にあることになる.




そこでは意識することと感覚することは同じであり,意識することが感覚の中に溶け出していく.それで良しとして,溶けていく中でできる限りの観察をしていくのか.観察をするという態度事態が,意識を保とうとしているのか.溶けていくという感覚を持つこと自体が,確固とした意識をもっているという態度なのか.とにかく,意識と身体と物質のフィードバックループの中にいるということを感じることからはじめてみる.

このブログの人気の投稿

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

映像から離れていっている

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

画面分割と認知に関するメモ

矢印の自立

アンドレアス・グルスキー展を見て,谷口暁彦さんの習作《live-camera stitching》を思い出しました

京都工芸繊維大学_技術革新とデザイン_インターフェイスの歴史