身体が空白の輪郭を形づくる

クラウドの中で身体はどこにあるのかを考えるために,いろいろと身体のことを考えているけれども,どうしたものか.身体のことを考えると,「意識」や「考えること」をあわせて考えてしまう.テクノロジーによって身体が変わること.身体が変わると意識が変わること.それらが同時に起きていることをどのように感じて,考えて,記述するか.「記述する」という方法が,もうこれらの現象を表すことに適していないのか.でも,記述する努力をしなくては.そのための練習をしているつもりなんだけど.クラウドの中の身体といっても,その身体はすっかりと忘れ去られるように,今までのテクノロジーによって環境がデザインされてきたとしたら,「身体」という部分が環境からすっぽりなくなってしまうような.すっぽりと抜け落ちた空白として,かつてあったものとして身体が空白の輪郭を形づくる.

このブログの人気の投稿

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

スケッチパッドで描く、ふたつの手(1)

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

スケッチパッドで描く,ふたつの手(4)

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

矢印についての寄せ集めメモ

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと