慣れた世界に関するメモ

コンピュータという論理機械を通して,物質を再構成して行く.もちろん,その物質は物理法則の中に置かれる.私たちは物理法則には慣れているが,コンピュータの論理世界には慣れていない.しかし,人間は何にでも直ぐに慣れる.私たちは,コンピュータが作り出した論理世界とその物理世界への介入に慣れてきている.慣れの具合に個人差があったとしても,あとは程度の問題である.

慣れた世界は,コンピュータの論理世界でも,物理法則に単に則った世界でもない.そこは,人間の世界である.人間の認識によって,モノの輪郭が与えられる世界.いくら天板が薄くても,テーブルはテーブルなのだ.プロジェクションされているとはいえ,トランプはトランプなのだ.そして,テーブルはテーブルのモノとしての輪郭があり,トランプにはトランプの輪郭がある.それは論理で決まっているわけでもなく,物理法則で決まっているわけでもない.ただ,人間の認識において現れるのだ.この慣れ親しんだ世界に,コンピュータは介入する.モノを支配している物理法則を,コンピュータは巧みに操作することで,今までにはなかったようなモノの輪郭を作り出す.私たちは,この新たな輪郭と今まで慣れ親しんだ世界の輪郭との対比させて,新たな輪郭に新しい認識を与える.

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