石上純也「建築の新しい大きさ」から考えた「薄さ」の構築のメモ

石上さんのメッセージ

できるだけ薄く,軽やかに,広く,できるだけぼやかしてゆく.すべてが,量子の揺らぎのなかに,ゆっくりとひろがってゆくように.ぼんやりした概念,ぼんやりした機能,ぼんやりした領域,ぼんやりした集まり,ぼんやりした方向.あらわれつつあるあたらしい環境のなかに建築が溶け込んでゆき,同時に,建築があたらしい環境をかたちづくるようになる.

建築の新しい大きさ,石上純也




石上さんの建築はたわんでいる.ゆらゆらしている.ちょっと間違えると倒壊してしまう.でも,危ういバランスという印象はない.鋭くない.ぼんやりしている.

石上さんの建築はとても薄い.今の自分の興味から,この薄さに惹かれている.薄いから,ゆらゆらしているが,しっかりと立っている.《雲を積層する scale=1/1000》で,眼の前のゆらゆらとしたものが自立してることに気づいたときは,ちょっとした驚きがあった.

薄くてゆらゆらしている平面を支える構造.「支える」という感じではない,平面に構造が密着している.眼の前にあるのは確かに三次元の立体なんだけれど,ぺらぺらした二次元の平面のように感じられる.三次元でもあり,二次元でもあるような不思議な次元が広がっている.

たわんで,ゆらゆらしている立体でもあり,平面でもあるようなモノ.あるいは,単に「薄さ」.「薄さ」の構築.この展覧会に展示されている作品は,どのようにすれば「薄さ」が作られるのかを実験しているかのようにもみえた.物理的に薄いというよりも,薄さを生み出す「スケール」を作ること.

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