「側面」についてカフェで書いたメモ

側面が気になる.
横の「平面」.平面を支える側面.
同じ「面」なのに,側面と平面では扱いが違う.
平面をはだいたい,というかほぼ正面からみた面.
メインの面.でも,側面は横にあって,普段は目立たない.
でも,側面がなければ平面はなりたたない.
それが水平であっても,垂直であっても.
モノとしある時点で,平面には側面がある.
でも,コンピュータのなかには,側面がないような.
デスクトップメタファーには平面しかない.
側面がないのではないか.これが面白い点.
自分で勝手に面白がっているだけなのかもしれないが.
側面が薄いと,それは側面とは呼ばれなくなる.
面という意識がなくなるから.
側面がなくなって,単なる平面になる.
実際には極薄の側面があるのだけれど,
ヒトはその極薄の側面を無視する.

側面.デスクトップではカーソルを横から眺めたらどうだろうという疑問を思い浮かべる.こんなことを思うのヒトは少ないかもしれないが,確実にいるはずです.では,iPhone とかのディスプレイの中を横から眺めるということを思い浮かべるヒトはいるだろうか.少なくとも,これを書く今のいままで,そんなことを思ったことはなかった.iPhone のディスプレイの中には側面を想像させる,側面というか,横から眺める・覗くという発想を呼び起こすモノや出来事がないのかもしれない. カーソルが作る半透明な層みたいなものがないからかもしれない.平面は重なると側面を作る.

このブログの人気の投稿

中村夏野さんの個展《we, topologically.》のトークイベント「イメージと物語をめぐる認知」に登壇しました。

カーソルについて何か考えたこと,または,エキソニモの《断末魔ウス》《ゴットは、存在する。》の感想

スケッチパッドで描く、ふたつの手(1)

2018年の振り返り

デジタルな現象をそのまま扱うということは,モダニズム的な態度

ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか?

アニメーションとカーソルを考えるためのメモ

カーソルが示すひとつの切断

サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(3)

「サブシンボリックな知能」と Doing with Images makes Symbols