キーボードにおける「薄さ/平面」という切断

http://gtokio.tumblr.com/post/865929130/evolution-of-apple-keyboards

2007年に発表されたアップルのキーボードを見ていると,平面の上に平面を重ねている感じがしてくる.重ねられた平面がキー/ボタンなわけでだが,キー/ボタンという言葉から感じられるモノとして質感が,このキーボードから感じられない.平面の重なりという印象が強い.キー/ボタンがモノから平面になっている.そして,上の平面が引き剥がされてひとつの平面としてトラックパッドがでてきているような.この見方は,1984年からのキーボードを順々に見てきても思い浮かばない.2010年のトラックパッドから,2007年のキーボードを見たときに思い浮かんだ.2007年のキーボードと,それまでのキーボードのかたちとのあいだにには,「薄さ/平面」という切断がある気がする.

「薄さ/平面」以前のキーボードは,どこまでもキーボードであり続ける.「薄さ/平面」以後のキーボードは,平面の重なりを変えればキーボードにもなるし,トラックパッドになるというように,何にでもなることができると考えることはできないだろうか.

このブログの人気の投稿

メディアアート概論(2025年度水野担当分)の授業資料

THE COPY TRAVELERSとのトークのメモ

画面分割と認知に関するメモ

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

メモ:「貧しい画像」はもうない

メタファーと身体の関係

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

The SINE WAVE ORCHESTRA の《A WAVE》を改めて考える

矢印についての寄せ集めメモ

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)