微妙な調整を行う余地が残されていること /


ジェスチャーがヒトとコンピュータとのインタラクションに用いられることによって,「時間感覚の一致」が起こる.ボタンを押すだけでは得られない「時間感覚の一致」をヒトが感じて,行為とイメージとの一体感が高まる(時間感覚の一致).そんな中,ジェスチャーをしたのに,イメージが対応してくれず「ヒューララ感覚」に襲われる(「なかったことにされる」行為).「時間感覚の一致」が起こっているだけに,この「ヒューララ感覚」は,ボタンを押すことの積み重ねで生じたデータが跡形もなく消え去ったときとは,また異なるスカッと,空振り感があるような気がする.例えば,マルチタッチ・ジェスチャー対応のトラックパッドで iPhoto の写真を「回転」させようとして,2本の指をくるっと回したのに,なぜか写真が動かなかったり,拡大されてたりするしたときには,思い通りにいかない悔しさみたいのがある.ボタンを押し続けて生じた蓄積されたデータが消える,つまり少し過去のことが跡形もなく消えてしまう「やるせなさ」ではなくて,もしくは,ボタンを押すというのが一瞬の行為であるがゆえに,いつもちょっと遅れてその行為のリアクションをディスプレイ上のイメージから受け取る感覚でもなくて,「リアルタイム」で思い通り動かない「悔しさ」など何かしらの感情が生じることが,ボタンを押し続けることとジェスチャーとの違いかもしれない.それは,ボタンを押すことには「押す/押さない」という選択肢しかないのに,ジェスチャーには微妙な調整を行う余地が残されていることが関係しているのかもしれない.

English is writing....

このブログの人気の投稿

村本剛毅『Beautiful Medium』への寄稿

紀要論文「私はマウスにはなれないが、奇妙なシステムは体験できる。」が発行されました。

名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科での特別講義:「自己」を経由しない「処理」の高度化

サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(3)

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.

Paddles ON! London に関してのいくつかのメモ

メディア映像史 (2025年度水野担当分)の授業資料

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

「非-用具的道具」?