「なかったことにされる」行為 /



どんな風に触れているのだろうかと思って,MacBook のガラス製のトラックパッドを使っている手を撮影してみた.ガラス製の滑らかな表面で,指を動かす.引っかかりがほとんどないので生理的に気持ちよい.1本指で触っているときは,指の動きとカーソルの動きが対応している.で,2本にすると,カーソルはピタッととまり,スクロールがはじまる.スクロールに対応していない領域で2本指にすると,カーソルだけとまって,スクロールは起こらない.なにも起こらなくなってしまう.スクロールをしようと思っていたときに,スクロールが起こらず,カーソルも動かない.なんか,スカッと行為が抜けてしまったような感覚.3本指,4本指のときの操作も,それに対応したディスプレイ上のイメージの動きが生じないと,なんか自分が行った操作がとても空虚な感じになる.

空虚な感じは,操作している指の動きだけを見ていても感じた.何をしているのだろうかと.ディスプレイ上のイメージの動きと結びついていることは知っているので,それとの対応を確かめつつ撮影した映像を見ているのだが,それでも何か指の動きには空虚なものを感じてしまう.モノの表面を,ただ撫でているというか,触っているだけ.と書いていて,Jamiroquai の PV で,Jay Kay がよく動くけど通路も動いて何か妙な感じを出している出しているものがあったような気がして YouTube で見てみた.改めて見てみると,Jay Kayではなくて,部屋においてあるソファとかとても床の上をとても滑らかに動いていた.この曲のタイトルは「仮想の狂気(Virtual Insanity)」であった.ちなみに,1996年の作品.私は,トラックパッドに狂気を感じはしないけど,空虚を感じた.それは昔,藤幡正樹さんの言っていた物質的なモノを残さず跡形もなくなくなってしまう「ヒューララ感覚」かもしれない.でも,行為自体はなくなっているわけではないのだから,少し違うかもしれないが.もしかしたら,今までの意味での「行為」がなくなっているかもしれない.「かもしれない」が続いたが,ヒトとコンピュータとの関わりの中で,物理的なモノだけでは成立しない行為が増えてきていることは確かである.だから,物理的行為を試しても,ディスプレイ上のイメージという新しい次元が対応してくれないと,物理的行為自体がなかったことにされてしまう.この「なかったことにされる」行為から,スカッとした感覚が生じるし,その行為だけを見ていても何か空虚さを感じてしまう,と私は考えている.

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