ヒトとコンピュータの全体にフィットするヴァージョンとしてのインターフェイス
ジェスチャー・インターフェイスに,言語起源を重ねて考えている.まだまだ漠然としていて,ただ単になんかつながりがあるかなくらいだけれど.ヒトの歴史における言語の起源と同じようなことが,ジェスチャーを用いたヒトとコンピュータとのインタラクションで起きるのではないか.新たな言語の起源に立ち会えるのではないかとワクワクしている.
言語は今や「人間の言語」を越え出るもの,いわば「超言語」へと発展するかもしれない.コンピュータ支援の「言語理解」研究,あるいは,ヒューマン・インターフェース研究の最近の展開がこのことを暗示する.(pp.224-225)
坂本百大(1991)『言語起源論の新展開』オースティンの『言語と行為』を訳した哲学者・坂本百大氏の直観.対話する機械としてのコンピュータとの関係の中で,今までの言語とは異なる形式が出てきてもおかしくは無いと思う.あと,前にも引用したけど.タンジブル・ビットの石井裕氏の言葉.
コンピュータをマウスで操作するインターフェースは,ブラックボックス化されていて,そこで何が起こっているのかがわかりにくい.しかし,それがジェスチャーになれば,例えば指揮者のタクトの動きでバイオリニストが音を奏でるといったような,ものごとの因果関係の連鎖が目に見えるようになる.ジェスチャーによるインターフェースの研究は,モノ,スペース,ボディーをシームレスに繋ぎ,そこに全く新しいパラダイムを打ち立てようとするものなのです.
石井氏が言っている「新しいパラダイム」が「新しい言語」を生み出す.文字ではなくて,行為に基づく言語,もともとジェスチャーと呼ばれているもの.新しい言語が制作されていくプロセスの中にいるという意識をもって, iPhone など身近なジェスチャー・インターフェイスも含めた多くの事例を経験し,分析していくこと.
私たちが世界を把握するために使っている言語を第一言語として,それに基づいて第二言語としてのジェスチャー・インターフェイスを作る.「第一言語と第二言語」は,アメリカの哲学者ネルソン・グッドマンが使ったもの.言語起源におけるグッドマンの経験を重視する考えや,彼の『世界制作の方法』の「ヴァージョン」「レンダリング」「正しさ」「適合」という概念は,ジェスチャー・インターフェイスを考える上でとても重要な概念.
要するに,言明の真理と,記述,代表,例示,表出の正しさ(具体的には,デザイン,素描,言いまわし,リズムの正しさ)は,まずもって適合[フィット]の問題である.すなわち,何らかの仕方で指示されたもの,他のレンダリング,もしくは編成の様態や流儀 --- こうしたものへの適合の問題なのである.ヴァージョンを世界に適合させること,世界をヴァージョンに適合させること,そしてヴァージョンを全体として適合的なものにするというか,それを他の多くのヴァージョンに適合させること,これらの違いは,ヴァージョンの適合する世界の制作にあたりヴァージョンが果たす役割をはっきりと認める場合には薄れてゆく.そしてものを知るとか理解するということは,真なる信念の獲得という意味あいを越えて,ありとあらゆる適合の発見と案出に及ぶとみなされるのである.(p. 240)
ネルソン・グッドマン(1978=2008)『世界制作の方法』菅野盾樹訳フィットしたジェスチャーとそうでないジェスチャーとの違い.ヒトとコンピュータとが作り出す全体としての世界に,インターフェイスというヴァージョンにフィットさせること.インターフェイスを私たちの世界にフィットさせること.ヒトとコンピュータとの間に,インターフェイスがあるのではなく,ヒトとコンピュータの全体にフィットするヴァージョンとしてのインターフェイス.