アトム→ビット→ピクセル→アトム / Atom → Bit → Pixel → Atom




タンジブル・ビット→(g-stalt)→ラディカル・アトムズという流れで何かを書きたかったのだけれど.g-stalt について調べたら,Jamie Zigelbaum という g-stalt を MIT メディアラボ,タンジブル・メディア・グループで開発・研究しているドクターコースの学生の「Mending Spaces [空間を縫い合わせる]」というエッセーに遭遇し,その後,「Reality-Based Interaction: A Framework for Post-WIMP Interface [現実を基にしたインタラクション:ポストWIMP インターフェイスのフレームワーク]」という論文に出くわし,それらを読んでいたら.大分時間が経ってしまった.

「Mending Spaces」のサブタイトルは,「Gestural Inteaction: how to create interaction that merge body, object, space, screen, and surface [ジェスチャー・インタラクション:身体,物体,空間,スクリーン,サーフェイス(表面)を一緒にするインタラクションの作り方]」となっていました.物理空間と情報空間を縫い合わされていく中で,新しい目と新しい指もまた改善,縫い合わせなければならない.技術だけではなくて,ヒトのもまた,技術とともに共進化していくんだよ,そして,進化の中で得るものもあれば失うものもあるよと書いてある.今度ちゃんと訳してみよう.

で,最初に何を書きたかったというと,一見,タンジブルではない,ジェスチャー・インターフェイス環境の g-stalt がタンジブル・メディア・グループの中で研究されていたことの違和感を,僕は感じていた.そして,「情報に触る」というコンセプトでやってきた石井裕教授率いるタンジブル・メディア・グループが,次は,ピクセルのように自由に変化するマテリアルを想定してインターフェイスを考える「ラディカル・アトムズ」というヴィジョンを示したこと.ここには,アトム→ビット→ピクセル→アトムという流れがある.私たちは長い間,物質,アトムに触れてきた.そこにビットという存在が現れた.なので,アトムに触れるようにビットに触れなければならない.さらに,アトムに触れるようにピクセルに触れなければならない.そうするうちに,自由に変化するビット・ピクセルに触るようにアトムに触れることができなければならないというヴィジョンが現れた.最初のアトムと次のアトムでは,アトム自体が変化する/しないの違いがある.最初のアトムは変化しない.アトムを動かすことでビットが変化する.いくらビットが変化して,ピクセルが変化しても,アトムは変化しない.このことに石井教授は違和感を感じていたらしい.で,アトムも自由に変化できると考えてインターフェイスを考えようと.この最後のアトムも自由に変化できるとするときのアトムは,ビット・ピクセルが現れてきたからその存在を一から問い直されたアトムである.ビット・ピクセルが自由に動くから,それに対応したジェスチャーを作ってしまおうというのがg-staltと考えると,このジェスチャー・インターフェイスの中でヒトの行為をビット・ピクセルとの関係で一から問い直すことで,新たなアトムのための行為を考えることが可能になるのではないか.だから,「ラディカル・アトムズ」というアイディアができてきたのではないか.そうだとすれば,g-stalt がタンジブル・メディア・グループの中で研究されているのが腑に落ちると勝手に思った.

I feel something strange that Tangible Media Group(TMG) studies the gestural interface which is not like the tangible. And more, TMG leaded by professor Hiroshi Ishii shows a new vision 'Radical Atoms'; Study the interface based on the material which can freely change like the pixel on the display. There is a stream of idea; Atom → Bit → Pixel → Atom. We have touched Atom for a long time. Then, we have to touch Bit like touching Atom. We have to touch Pixel like touching Atom. In the mean time, we have to touch Atom like touching Bit and Pixel. The first Atom does not change. It is just solid material. However, the second Atom can freely change. It is like fluid material. Now, we can change Bit and Pixel at our will but Atom does not. Prof. Ishii feels strange this solid Atom, therefore he give us the vision of 'Radical Atoms' for study the interface based on the idea that we can freely change the Atoms. I think that the second Atom is the new entity based on the appearance of Bit and Pixel which is always changing. Bit and Pixel is freely changing therefore we have to make a new interface in order to correspond them. It is g-stalt. This gestural interface make us re-think our actions to Bit and Pixel. This thought leads us new actions for the new fluid Atom. I think that this is 'Radical Atoms'.  In this way, I understand why TGM studies the gestural interface like g-stalt.

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