次の学会発表のためのメモ(3):間主観的な映像:ヒト|データ|モノ

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間主観的な映像:ヒト|データ|モノ
間主観的な映像:ヒト|データ|モノ.
最初は,
映像がそのあたりに転がっている石のような
単なるモノとして扱われるようになってきているということを,
言いたかったような気がする.
それはインタラクティブということではなくて,
確かにそれもあるかもしれないけれど,
石という物質と同じようなモノとして扱えること.
だから,「映像のモノ化」というタイトルにしていた.
でも,なんか違う.
もともと映像はモノであった.
とくに写真はモノであった.
客観を写し取る映像.
それを見る主観としてのヒト.
客観→映像→主観.
コンピュータは映像がモノであることを顕在化しただけ.
データを映像に付与することで,
客観→映像→主観に別の流れを付与した.
客観→映像→主観|データ⇔ピクセル⇔アトム
映像を考えるときに,
客観と主観だけではなく,
コンピュータによって生み出されるデータの流れを考えること.
そこではヒトは主観という特権的な位置にありながら,
客観的なデータにもなる.
そのデータが映像となることで,
映像に主観でもなく客観でもない性質が付与される.
コンピュータという存在が出てきたこと.
コンピュータが情報をピクセルで表すようになったこと.
情報の滲みとしてピクセル.
情報の滲みを見るヒト.
ヒトによる映像への反応を,コンピュータが見る.
コンピュータによる映像への反応を,ヒトが見る.
ここに新しい間主観的な映像が生まれている.
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別のところで上のように書いた.このような考えになったのは,ドナルド・デイヴィドソンの「間主観的」という考えが大きく影響している.加えて,昨日読み返した暦本純一の「サイバネティックアースへ:サイボーグ化する地球とその可能性」からも強く影響を受けている.バルトなどの写真論ではなく,コンピュータ科学者の言葉の方が,今の映像が置かれている状況を的確に捉えているように思う.私たちの生活が,コンピュータによって生み出されている情報の上に成り立っていることを考えれば,それは当たり前かもしれない.「人間の世界,コンピュータやネットワークに代表される人工物の世界,実世界,の三つの世界の相互作用としてヒューマン・コンピュータ・インタラクション」における映像を考えること.そのためにエキソニモの《断末魔ウス》,DIVVY/dualの《タイプ・トレース》を考えたい.
記憶の電子的な強化の延長線上には何があるだろうか.実際の脳はストレージのように情報を格納しているのではなく,その場その場で想起情報を再構成していると推測されている.したがって記憶は常に「一人称」的であり,想起する場面がなければ記憶そのものも存在しないといえるかもしれない.一方,電子的記憶にはそのような性質(「制約」といえるかもしれない)はないので,人間の想起メカニズムを離れた電子情報独自の利用可能性が生まれてくる.たとえてみれば,通常の記憶想起が地表を歩いて一人称的に景色を観る行為だとすると,上空から世界を鳥瞰図のように見渡したり,さらには地球全体を外部から眺めたりするような経験に相当するだろう.つまり電子的な記憶のブラウジングは,空間認知における「地図」の発明に相当する可能性を持っている.(p.191)
ビットとアトムの融合は,現実との接点でも発生すると予測される.たとえば現状のコンピュータディスプレイはネットワークと現実の界面(interface)であり,コンピュータ(ネットワーク)上の情報をピクセルとして現実世界に放射する「サーフェイス」である.人間の入力のセンシングと合わせて,ディスプレイは「ビット入出力界面」として機能している.筆者は,この考えを一歩進めて,全ての人工物の表面は生物の「皮膚(skin)」に相当するという発想のシステム「スマートスキン(SmartSkin)」を提案している.(pp.195-196)
ヒューマン・コンピュータ・インタラクションも,もともとは人間とコンピュータ(あるいはネットワーク)との間の界面(インターフェイス)をどう設計するか,が課題となっていた.しかし,コンピューティング能力がより現実と密接に関係するようになると,図8のような単純な界面としてインタラクションを考えることは限界がある.少なくとも,人間の世界,コンピュータやネットワークに代表される人工物の世界,実世界,の三つの世界の相互作用としてヒューマン・コンピュータ・インタラクションを考える必要がある(図9).ここでは,人間とコンピュータとの関係(いわゆる「ユーザインタフェース」)もあるが,人間と現実世界との関係(オーグメンティドリアリティ,あるいはユビキタスコンピューティング),さらに人工世界と現実世界との関係が共存している.(p.196)

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