「情報機器に在るはずのない精神を感じさせる」存在としてのカーソル

「世界制作の方法」展でのエキソニモ作品のつづき.

エキソニモの《ゴット・イズ・デット》に抜ける扉の前の空間には,《ゴットは、存在する。》が展示されている.私が見に行った日には,2つの作品が調整中だったためそのすべてを見ることができたわけではないけれど,ICC で展示してたヴァージョンとはまた違った感じがした.

最初に気になったのが,祈るときの手のように重ね合わせられたふたつのマウスが車座に配置されている作品.もちろんマウスはパソコンに接続されていて,そのディスプレイには「ゴット」という名のフォルダが映し出されている.この作品の興味深いところは,ふたつの光学式マウスを重ね合わせることで,光の干渉が起こってヒトを介さずにカーソルが動くというところ(→以前書いたエントリー:イメージを介して,モノが「祈る」).前回の展示はひとつだった重ね合わせられたマウスが複数になっていて,それぞれが動かしているカーソルの軌跡がひとつひとつ異なっている.異なるカーソルの軌跡には「個性」がある感じがして面白かった.さらに,「ゴット」というフォルダが画面上にあるのだけれど,カーソルはその上にほとんど辿り着くことがない.たとえフォルダとカーソルが重ねあっても,クリックされることはないから,決して「ゴット」のフォルダは開かない.「ゴット」のフォルダには何が存在するのか.そして,もし「ゴット」フォルダをダブルクリックされて開いたとしたら,マウスとパソコンで構成された車座の中心から「ゴット」が現れてきそうな神秘的な雰囲気もある.こういった「信じるか信じないかは,あなたしだいです」といった秘密結社的な感覚が面白い.この雰囲気が《ゴット・イズ・デット》の空間(→以前書いたエントリー:《ゴット・イズ・デット》が示すインターネットの「不穏さ」)へと繋がっていると思う.

車座になったマウスの上には,ミラーボールがあって,その先には大きな「カーソル」が映し出されている.この大きなカーソルもまたふたつのマウスによって動かされて,ときたまミラーボールの影の中に入っていく.そのときにカーソルは星屑のように粉々になって,その破片がミラーボールに反射して部屋中に撒き散らされる.ここには抽象と具象のあいだを行き来するカーソルがあるような気がした.カーソルはとらえどころないイメージのような抽象的存在なのか,それとも自分の手の延長としてどこかしらモノ的な要素をもつ具象的存在なのか.しかし,多くのヒトはそんなことを考えずに,ただ単に自分の手の延長として考えているかもしれない.

カーソルがヒトの手を離れた存在になっているこの作品では,この大きな「矢印」は単に何も示すことがない抽象的なイメージのように感じられる.映しだされているのが「カーソル」ということは,多くのヒトが理解できても,それが何の意味があるかはわからない.だたカーソルが黒い空間を移動しているとしか考えられない.しかし,それはミラーボールの影に重なると粉々に砕け散り,そしてまた丸い影との重なりから離れるとその多くの破片から「矢印」が形成される.この繰り返しの中で,ヒトの手を離れていたとしても,カーソルは抽象と具象とのあいだを行き来する曖昧な存在であることが示されているように思いえる.そんな曖昧な存在だからこそ,カーソルの存在の意味を特に考えることなく使っているかもしれない.つまり,考えても仕方ないのである.だから,カーソルは「手の延長」にしておこうと,多くのヒトが信じこむ.

考えても仕方がない曖昧な存在としてのカーソル.それゆえに,カーソルはヒトの意識にものぼらない.例えば,「世界制作の方法」の図録にあるエキソニモの紹介文にはこう書かれている.

また2009年に発表した《ゴットは、存在する。》では,逆に,操作する人間が不在でも,コミュニケーションが成立する非人情な世界を剥き出しにする.例えばその作品を構成する一つである《gotexists.com》では,「神」という文字をすべて「ゴット」に置き換えたさまざまなサイトの検索結果画面がでたり,《祈》というオブジェでは光学マウスが重ね合わせられることによって微振動を続けたりするなど,情報機器に在るはずのない精神を感じさせる装置を創作するのである.(p.22)

 「微振動を続けたりする」のはディスプレイ上のカーソルであるはずなのだが,このテキストでは見事にその存在が記されていない.しかし,「情報機器に在るはずのない精神を感じさせる」存在のひとつとしてカーソルがあると,私は考えたい.カーソルの曖昧性を成立させているのは何なのか.ヒトはカーソルを破壊することができるのか.こういったところに「情報機器に在るはずのない精神を感じさせる」存在としてのカーソルの秘密があるのではないだろうか.これらの秘密を暴くことができれば,カーソルによって世界をリメイクできると,私は密かに信じている.そして,エキソニモの作品はそのヒントを与えてくれている.

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