「ある」と納得しかけたときの感覚は残る

「ない」ところに「ある」が生まれる.
光と仮現運動との関係.
でも,それは,もともと「ない」ものである.
物質との関与がない.
光と仮現運動との関係に,プラスチックを入れ込む.
プラスチックも,
認識を促す要素は「ない」が,形は「ある」ものである.
そこで,光と仮現運動との関係に,同じ構造をもった物質が関わってくる.
「ない」けど「ある」けど「ない」を,
見るだけでなく,触れてみて,また見ることで,
そこにあるものが,「ない」体験でありつつも「ある」ものとして一度納得しかけて,
やはり「ない」となる.一度,分かってしまうとなるところで,
新たな感覚が生じる.そこで認識している対象は,また「ない」の方へ行ってしまうのであるが,
「ある」と納得しかけたときの感覚は残る.

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