「ある」と納得しかけたときの感覚は残る

「ない」ところに「ある」が生まれる.
光と仮現運動との関係.
でも,それは,もともと「ない」ものである.
物質との関与がない.
光と仮現運動との関係に,プラスチックを入れ込む.
プラスチックも,
認識を促す要素は「ない」が,形は「ある」ものである.
そこで,光と仮現運動との関係に,同じ構造をもった物質が関わってくる.
「ない」けど「ある」けど「ない」を,
見るだけでなく,触れてみて,また見ることで,
そこにあるものが,「ない」体験でありつつも「ある」ものとして一度納得しかけて,
やはり「ない」となる.一度,分かってしまうとなるところで,
新たな感覚が生じる.そこで認識している対象は,また「ない」の方へ行ってしまうのであるが,
「ある」と納得しかけたときの感覚は残る.

このブログの人気の投稿

「テクノロジーと表現論」(2026年度)の授業資料

日本映像学会第51回大会での発表:『映像そのもの』という何かを感じ始める

GIFとループと物語

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

ポスト・インターネットで途方にくれないためのメモ

見ているモノは触れているモノか?(3)

「Generated X [生成されたX]」の気配

あのマウスカーソル邪魔じゃね?

ナウシカの世界におけるメディア・コミュニケーション(1)

「自己座標系」なんて投げ捨てたい