光,プラスチック,仮現運動


光の明滅で構成される仮現運動を見ながら,プラスチックに触れるということ.このことが意味するのは,<動き>の中で,光と物質との間を常に行き来することである.物質性は「ない」けど,<生っぽさ>が「ある」光の明滅と認識を導く要素が「ない」 けど,物質としての形は「ある」プラスチック.この2つが交わるところに生じる,物理的な運動は「ない」けど,見かけの運動が「ある」仮現運動が,常に「動き」を生成している.ここには,常に何かが「ない」まま,「ある」が生じている.光の「ない」けど「ある」.物質の「ない」けど「ある」,<動き>の「ない」けど「ある」.これらの「ない」と「ある」をつなげていくことで,ビデオゲームは成立している.映像だけでもなく,コントーラだけでもない.それは,見ているだけでも,触れているだけでもなく,これらがつながることによってはじめて成立する領域なのだ.「ない」けど「ある」けど「ない」という流れが動き続けること.「ない」けど「ある」へ,そして,「ある」けど「ない」へ.この流れを淀みなくなめらかにすることによって,プレイヤーとキャラクターの「心地よい統一感」が生み出される.同時に,この流れが,未生の感覚を生み出す回路でもあるのだ.

このブログの人気の投稿

紀要論文「《Layered Depths》が示す「マルチレイヤードなメディア体験」に基づく映像体験」が公開されました

MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ

MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ

ÉKRITSへの寄稿:絵文字😹😸🙀は空白をつくり、感情🔥を区切る

MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質

MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス

サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(3)

出張報告書_20151030 もしくは,「みえないものとの対話」の対話

渡邊恵太さんとトーク「インターフェイスとは何なのか?」のスライドやメモなど

テクスチャーの裏側にあるかもしれない記憶_レジュメ&スライド