光,プラスチック,仮現運動


光の明滅で構成される仮現運動を見ながら,プラスチックに触れるということ.このことが意味するのは,<動き>の中で,光と物質との間を常に行き来することである.物質性は「ない」けど,<生っぽさ>が「ある」光の明滅と認識を導く要素が「ない」 けど,物質としての形は「ある」プラスチック.この2つが交わるところに生じる,物理的な運動は「ない」けど,見かけの運動が「ある」仮現運動が,常に「動き」を生成している.ここには,常に何かが「ない」まま,「ある」が生じている.光の「ない」けど「ある」.物質の「ない」けど「ある」,<動き>の「ない」けど「ある」.これらの「ない」と「ある」をつなげていくことで,ビデオゲームは成立している.映像だけでもなく,コントーラだけでもない.それは,見ているだけでも,触れているだけでもなく,これらがつながることによってはじめて成立する領域なのだ.「ない」けど「ある」けど「ない」という流れが動き続けること.「ない」けど「ある」へ,そして,「ある」けど「ない」へ.この流れを淀みなくなめらかにすることによって,プレイヤーとキャラクターの「心地よい統一感」が生み出される.同時に,この流れが,未生の感覚を生み出す回路でもあるのだ.

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