マウスがあるかのように手を丸めて動かす



モノとしてのマウスをなくしてみたらどうなるか.マウスがあるかのように手を丸めて(原文だと cup という単語が使われている),マウスを動かすかのように動かす.そうすると,マウスで動かしているかのようにカーソルが動く.ちがうのは,そこにモノとしてのマウスがないだけ.

これを開発した Pranav Mistry は "Six Sense" project の人.


「第六感」に比べれば,マウスをなくすことは大したことがない感じがする.WIRED の記事には次のように書かれている.
「マウスをなくす」というアイデアは,シックス・センスのような大きなブレークスルーではない.アイデアが確かに楽しいものだが,インタラクションが今までと同じままでハードウェアを取り除いてしまうような事例はほとんどない.ユーザ・インターフェイスはマウスによる「指示して,クリックする」インタラクションを乗り越えようとしている.しかも,ハードウェアとしてのマウスはとても安いので,それをなくすことでのコストを減らすということもない.[The Mouseless idea is not as big a breakthrough as Sixth Sense. Though it is fun, it is difficult to see a real-world case for getting rid of hardware while keeping interaction the same. User interfaces are going beyond the point-and-click interaction that the computer mouse demands. And mouse hardware itself is cheap, so there’s not much of a cost saving here.]  
http://www.wired.com/gadgetlab/2010/07/computer-mouse-invisible/ 
しかし,である.そこにあったモノをなくすことは,とても面白いと思う.マウスはカーソルと連動して,画面上のイメージを「指示して,クリックする」という機能を担っているモノである.その単一の機能を果たすために,多くのかたちが生み出されてきた(それは,デモ映像を見ればわかる).かたちが変われば,それを握る手のかたちも変わる.当たり前のことだが,ここでそのかたちがなくなる.手のかたちはどうなるか.マウスをもっているかのようなかたちを作る.「かのような」かたち.モノがなくなって,機能だけがのこって,その機能を活かすようなかたち.笑い猫の,「笑い」だけが残ったような感じがする.

マウスというモノがなくなっただけで,手と連動して動くカーソルに違和感を覚える.超能力かなんかで動いているような感じ.「シックス・センス」の方では,ヒトの行為とそこから派生する出来事に胡散臭さを感じない.それはこのシステムが,ジェスチャーを前提として作られているからだろう.逆に,マウスをなくす映像は,機能とそれを使うヒトの行為を残しながら,モノだけをなくしているので,胡散臭さを感じてしまうのだろう(こちらにこそ第六感的を感じしまう).

マウスが単体でなく,常に画面上のカーソルと結びついて機能するから,その機能だけを残しつつモノの部分を消去することができる.カーソルを動かせればそれでいいのであって,モノはあまり必要ではなかった.ここでは,モノよりもイメージの方が強い存在の主張をしている.モノに定着することで機能してきたイメージが,モノと切り離されても存在できると主張している.

また,大学生時代の1996年からの14年間マウスを使い続けてきた私自身の体験も強く影響しているのであろう.コンピュータといえば,マウスであるという感じ.身体に染みついているマウスを使うという感覚.しかし,もし,マウスをなくすという映像を,マウスを使ったことがないヒトが見たらどうおもうのであろうか.ジェスチャーでコンピュータを扱うことが当たり前になった時代が来るとして,そこにすむヒトたちは何を思うのであろうか.もしかしたら,マウスを使っていたときの行為がジェスチャーの基本となっていて,この映像を見てはじめて自分たちが行っているジェスチャーの起源を知ることになるのかもしれない.

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