0724 深夜の「用具的」をめぐるメモ

A Demonstration of the Transition from Ready-to-Hand to Unready-to-Hand という論文を読み返そうと思って,タイトルを眺めていた.

この論文は,マウスとカーソルを使って,ハイデッガーが「用具的道具」という言葉で言っていることのデモをするもの.

その内容はさておき,タイトルを眺めていたら,「用具的」から「非-用具的」への「移行」とある.

なぜ,マウスとカーソルを使うことで,この「移行」がデモできるのか.ここが問題.

マウス(モノ)⇄プログラム⇄カーソル(イメージ).プログラムの部分の変更で,カーソルの挙動を変えることができる.プログラムは瞬間的に,カーソルの挙動の真偽を切り替える.

そのあいだ,マウスというモノは何も変わらずモノであり続ける.イメージだけがプログラムによって変化させられる.

「マウス⇄プログラム⇄カーソル」のつながりの全体がひとつのコード,行為のコードを作り上げている.

プログラムは行為のコードを瞬時に切り替えることができる.けれど,いつもはそのコードというか,そのコードを成り立たせたコミュニケーションを受け入れている.ちょっとプログラムを変えることで,道具とヒトとのコミュニケーションと,それが成立させた一時のコードが破壊される.そのために,「用具的」から「非-用具的」への「移行」が起こる.

エキソニモは「モノ⇄プログラム⇄イメージ」のつながりのコミュニケーションを破壊し,一時のコードもなかったことにしてしまう.しかもそれを,モノ,プログラム,イメージの各部分で行っている.そしてその3つがバラバラになっても,バラバラのまま別のコミュニケーションが始まることを示している.

このブログの人気の投稿

告知:第4回新視覚芸術研究会「デジタル時代の次元の折り重なり」【追記_2017/08/08】

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

美術手帖(2017年9月号)にHouxo Que個展「S H I N E」のレビューを寄稿

新視覚芸術研究会第4回シンポジウム「デジタル時代の次元の折り重なり」の個人的振り返り

サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(1)

「テクスチャーの裏側にあるかもしれない記憶」の進捗状況&シンポジウム再告知

デジタル時代の物質性 あるいは 単にPhotoshopのブラシ あるいは 単にブラシ

授業ノート:ディスプレイ時代の芸術作品_ネット公開用

能動と受動の間,具象と抽象の間にある←,カーソル

小林健太「自動車昆虫論/美とはなにか」のトーク:本当に美だと感じているものに近づくことができるのではないだろうか